小説「新・人間革命」 人材城 25 2012年 5月9日

九州方面の壮年幹部は、原谷三兄弟の顔をのぞき込むようにして言葉をついだ。
「この試練を、兄弟三人で乗り越えることができれば、君たちは、信心の面でも、人間的にも、大成長できるよ。
御書に、親が子を思うゆえに、修学に励まぬ子どもを、槻の木の弓で打つという話が出てくるだろう」
──子どもは、自分を打つ父を恨み、槻の木を憎む。しかし、修学増進し、遂に自分も悟りを得て、人をも教え導くようになる。
振り返ってみれば、親が槻の木の弓で自分を打ってくれたから、自分が大成できたことに気づくという話である。(御書一五五七p)
「親父さんは、現象的には、子どもの成長を願うこの父親とは、正反対のように思えるかもしれない。
しかし、仏法の眼で見れば、本質的には同じなんだよ。親父さんがいたからこそ、君たち兄弟は『負けまい』として、信心の炎を燃やしてくることができた。
親父さんは、君たちを大信力の人にし、大成させるために、信心にも反対し、借金をつくって逃げているんだよ。
そう考えれば、親父さんは、まさに『仏』と同じじゃないか。
親父さんを憎んでいるうちは、何も解決できないよ。親父さんへの感謝の題目をあげながら、必死に努力し、活路を開くんだ」
日蓮大聖人は、「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(同二九三p)と述べられている。
仏法者とは、報恩の人である。そして、報恩感謝に生きる時、人間の心は耕され、豊かな精神の実りの大地が広がっていく。
壮年幹部の声に力がこもった。
「大事なことは、『広宣流布のための人生である』と腹を決めることだ。
『広布を成し遂げていくために、必ずこの問題を乗り越えさせてください』と祈りに祈り、知恵を絞って、懸命に努力するんだ。
その時に、不可能も可能になる。諸天の加護もある。人間革命もできる。
広宣流布に生きようという人を、御本尊が見捨てるわけがないじゃないか!」