小説「新・人間革命」人材城 28 2012年5月12日

原谷兄弟の父親は、熱海で、中風で寝たきりになっていた。再婚した義母が、旅館で働きながら、面倒をみてくれていた。
長男の永太が、「借金は、兄弟で全額返済した」と言っても、父親は信用しなかった。 
彼らは、やむなく、返済した領収書を持って、再度、熱海を訪れなければならなかった。
家族で話し合い、父を熊本に連れて帰り、病院に入院させた。病状は、次第に回復に向かい、やがて退院した。
そして、父親も、信心に励むようになったのである。
長い、長い、試練の坂であった。しかし、原谷兄弟は、見事に、『人生の田原坂』を越え、勝利したのだ。
熊本県出身の作家・徳冨蘆花は、冬の最中には「どこに春がこもっているとも見えぬ。しかし春は来る。必ず来る」と詠った。
懇談会で、山本伸一は、原谷永太の報告を聞くと、こう語った。
「そうか。よく頑張ったね。身近な実証、身近な信頼を積み重ねていくなかに、広宣流布の大願の成就があるんです。
兄弟で仲良く、力を合わせて、地域広布推進の模範の存在になっていってください」
そして、色紙に句を認めて贈った。
「火の国の 大兄弟の 馬上行」
伸一は、さらに、懇談会に出席したメンバーの自己紹介に耳を傾けた。
人吉本部の婦人部幹部が、家庭の状況を報告すると、県長の柳節夫が口を開いた。
「『五木の子守唄』で有名な五木も人吉本部のなかにあります。
五年前の昭和四十七年(一九七二年)六月五日に五木のことが聖教新聞で紹介された折、先生から激励の伝言をいただきました。
五木のメンバーは、それを心の支えにして、現在も頑張っております」
伸一の顔がほころんだ。
「嬉しいね。どんなに真心を込めて激励しても、その場限りで終わってしまえば、意味はありません。私の励ましを生かしてくださっている。そこに価値創造があります」