小説「新・人間革命」人材城 29 2012年5月14日

五木村は、川辺川のダム建設計画によって、やがて、村の世帯の半数近くが、水中に没してしまうことになっていた。
聖教新聞では、湖底に消えゆくこの村の学会員の活躍を紹介したのである。
――五木村には、一大ブロック五十三世帯の学会員がおり、座談会には、七、八十人が参加。
メンバーは意気軒昂で、『築こう 妙法の五木城』を合言葉に、活動に奔走していることが報じられていた。
その記事を読んだ山本伸一は、五木の同志の奮闘に胸を熱くしながら、励ましの言葉と手元にあった手拭いを、記念に贈ったのである。
五木村に限らず、ダム建設や炭鉱の閉山などで、故郷や住み慣れた地を後にする人たちは少なくない。
その地域を大切にし、深い愛着を感じていればいるほど、離れていかねばならない辛さ、苦しさは、想像を絶するものがあろう。
伸一は、そうした同志の胸中を思うと、励まさずにはいられなかったのだ。
日蓮大聖人は、「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)と仰せである。
私たちが居住し、信心に励む場所は、どこであっても、すべて常寂光の都となるのである。
つまり、どこに行こうが、その場所が、最高の幸福を築く場所であり、広宣流布の使命の舞台となるのだ。
伸一は、そのことを、愛する土地を離れていく同志に知ってほしかった。
そして、今いる地を去る瞬間まで、ここに、模範の広宣流布の理想郷をつくるのだとの思いで、地域広布に取り組んでほしかった。
その地から人は去っても、人びとの心田に下ろされた発心の種子は、必ず、いつか、どこかで、幸と広布の大きな実りをもたらすからだ。
彼は、その旨を、簡潔に述べた伝言と、激励の手拭いを、柳節夫に託したのである。
柳が手拭いを持って五木村を訪れたのは、新聞の掲載三日後の六月八日であった。