小説「新・人間革命」 人材城33 2012年 5月18日

「五木の子守唄」は、母親が子どもを寝かしつけるための、愛に満ちた歌ではない。
子守をするために年季奉公などに出された「守子」たちの歌である。
その娘たちが、言うに言われぬ、子守の辛さ、悲しさ、やるせなさを込めて歌った、慰めの歌といえる。
山本伸一が、「五木の子守唄」を初めて聴いたのは、一九五三年(昭和二十八年)に、長男の正弘が生まれたころであった。
ラジオから流れる「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる」との歌を聴いた時、その哀切な調べが、胸を突いた。
守子の年季奉公が明ける日を指折り数えて待つ、いたいけな娘の姿が、目に浮かぶような気がしたのである。
歌には、富裕な人たちの衣服を羨むような言葉もあれば、?自分が死んだら誰が泣いてくれるのか?と嘆く詞もあった。
守子は、数え年七、八歳から十五歳ぐらいまでの少女であろう。
多くは、他郷から守子に出された貧しい家の子であり、学校にも通わせてもらえなかったにちがいない。
歌には、自分の境遇へのあきらめが漂っているように感じられた。
しかし、後年、伸一は、五木地方で採集された、七十ほどの子守唄を収めた一冊の本を読んで、守子たちの強かな感情の表出を見た思いがした。
こんな歌詞もあった。
「子どん可愛いけりゃ 守りに餅くわせ 守りがこくれば 子もこくる」(注=2面)
──子どもが可愛いのなら、守子に餅を食わせろ。空腹で守子が倒れてしまえば、背負われている子どもも倒れてしまうのだから。
そこには、自分の置かれた境遇を、ただ嘆きつつ、耐え忍ぶだけの、か弱い乙女の姿とは、別の顔が浮かび上がる。
不条理への抗議の心が、あふれ出ていよう。
それは、虐げられても、なお負けずに生きる、民草(民衆)の根強さにも通底している。
人間は誰もが力を秘め、そして、誰にでも、幸せになる権利があるのだ。