小説「新・人間革命」2012年 5月19日

五木地方の子守唄には、口うるさい老婆は、ガンと殴りつけろという、守子たちの激しい憎悪を露にした歌詞さえもある。
哀切の調べに満ちた子守唄のなかに流れているのは、卑下や疎外感、あきらめだけではない。
批判や居直り、怒りがあり、そして、強かな抵抗心や自立の誇りも脈打っている。
その抵抗の対象は、直接的には口うるさい老婆や雇い主などである。
しかし、それにとどまらず、自分を不幸な境遇へと追い込む見えざる何か、いわば運命への抵抗ともいうべきものを感じさせる。
この守子たちは、路上などに集まって子守をした。集まれば、仲間ができる。仲たがいもあれば、告げ口もある。守子は歌う。
「山でこわいのは イゲばら 木ばら 里でこわいのは 守りの口」(注1=2面、以下同じ)。里では、同じ守子の口こそが怖いというのだ。
守子同士の関係は、うっかりしていると出し抜かれかねない、緊張感をはらんだ面もあったのであろう。
だからこそ、気の許せる守子同士の結合は強くなる。
「おれと お前さんな 姉妹なろや お前ゃ姉さま わしゃ 妹」(注2)ともある。いわば、姉妹の思いをいだくほど、強い絆に結ばれていったのだ。
また、自分が死んでも泣いてくれるのは蝉ばかりだろうという歌とともに、「蝉じゃござらぬ いもつで ござる いもつ泣くなよ 気にかかる」(注3)とある。
いもつは妹のことである。その妹というのは、どこにいるのであろうか。
もしも、ここでいう妹が、姉妹の契りを交わした守子をさしているならば、その絆の強さは、いかばかりであったことか。
ともあれ、彼女たちの強かさを支えたものの一つは、守子同士の姉妹的結合であったことは間違いない。
孤独感は、心を弱くするが、人との強い絆を自覚するならば、心は鉄の強さをもつ。
 
■引用文献
 
注1、2、3 上村てる緒著『挽歌・五木の子守唄』エコセン
孤独感は、心を弱くするが、人との強い絆を自覚するならば、心は鉄の強さをもつ。