小説「新・人間革命」 2012年 7月16日 厚田26

戸田記念墓地公園のオープンを祝賀するかのように、美事な青空が広がり、太陽は白金に燃え輝いていた。
十月二日午前十一時、墓地公園内の戸田記念広場で、北海道の同志の代表ら二千五百人が参加し、墓園の開園式が挙行された。
二日は戸田城聖の命日である。
なかでも十月二日は、この厚田の地で戸田から、「君は、世界の広宣流布の道を開くんだ!」と、世界広布を託された山本伸一が、一九六〇年(昭和三十五年)、初の海外訪問に出発した、意義ある日であった。
恩師の遺徳を偲び、広宣流布を誓う弟子たちの、すがすがしい読経・唱題の声が、秋空に朗々と響いていった。
勤行に次いで、副会長で北海道総合長の田原薫があいさつに立った。
「この墓地公園は、戸田先生の故郷であり、周囲は、雄大な海、美しき山並み、墓園を見渡せば、空飛ぶものの王たる鷲のごとき形をしています。
私には、ここが、『霊山浄土に似たらん最勝の地』(御書一〇二二p)のように思えてなりませんが、皆さんは、いかがでしょうか!」
その田原の呼びかけに、参加者は目を輝かせ、大拍手で応えた。
北海道の同志は、墓地公園完成を目標に、『恩師の故郷にふさわしい、世界に誇れる広布模範の北海道を築くのだ』と、懸命に弘教の拡大に励んできた。
つまり、墓地公園の建設とともに、広宣流布の建設に、わが人間革命の建設に、全力で取り組んできたのだ。
だからこそ、皆の生命には、歓喜があふれ、その完成が嬉しくてたまらないのだ。
広布の城の建設を、自分の外にある出来事とするのではなく、それと呼応し、全同志が信心の目標を立て、果敢に前進していく
──そこに、学会の建物を建設する重要な意義の一つがある。
創価の建造物は、広宣流布の象徴である。ゆえに、それを荘厳するのは、一人ひとりの尊き信心の戦いなのである。
伸一は、皆の明るく元気な姿が嬉しかった。