小説「新・人間革命」 2012年 7月17日 厚田27

山本伸一のスピーチとなった。
彼はまず、厚田村の村長ら来賓をはじめ、墓地公園建設に携わった関係者に、深い感謝の意を表した。
そして、毅然とした声で語り始めた。
「ホール・ケインの名著『永遠の都』のなかで、主人公のロッシィが綴る手紙の一節に、こんな言葉があります。
『常に断崖の縁を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません』(注=2面)
思えば、初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、そして私も、広宣流布に生き抜こうと、戦いを起こしたがゆえに、常に断崖の縁を歩いてきました。
人びとの永遠なる幸福を築くために、世界の恒久平和を実現するために、宗教改革の旗を掲げて立ち上がった創価学会の歩みは、いわれなき非難中傷の連続であり、波瀾万丈の歴史でした。
私は、その先頭に立ち、『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(御書一一九〇p)との御聖訓を、わが信念として戦ってまいりました。
確かに私も、『永遠の都』にあるように、どんな緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎないと実感しています。
皆さんも、日蓮大聖人の仰せのままに、また、創価の一門として、広宣流布への確固不動な信念を固め、このロッシィのような境地を確立していただきたいのであります。
広宣流布という未聞の大業を成し遂げようとする私どもの前途が、平坦であるわけがありません。
穏やかな秋晴れの日が、永遠に続くことなど、決してありません。
日本海の怒濤のような荒波に向かい、堂々と前進していくのが、広布の道であり、創価の道です」
何かを予言するかのような発言であった。
多くの参加者は、その言葉を深く受けとめることはなかった。
しかし、この時、日蓮正宗の宗門のなかに、伸一を排斥しようという画策が、顕在化しつつあったのである。