小説「新・人間革命」 2013年 2月1日 法旗50

山本伸一の激励を受けてほどなく、岩田サワに立ち退き料が支払われることになった。思いのほか高額であった。彼女は、唱題の力を実感した。
 ウドン屋が繁盛したおかげで貯金もできていた。
 それと立ち退き料を合わせて、中古の家を購入し、さらに、融資を受け、その家に二階建てのアパートを建て増しした。
 また、繁華街にあったウドン屋をたたみ、自宅の一角に移した。店を任せることのできる人も見つかり、彼女は念願叶って、日々、学会活動に奔走できるようになった。
 やがて、岩田の娘の紀美子も高校を卒業し、証券会社に勤務するようになり、経済苦から完全に脱却できたのである。
 娘が社会人になった一九六〇年(昭和三十五年)、岩田は松山支部の初代婦人部長となり、二年後には、四国第三総支部婦人部長となった。
 彼女は決意した。
 自分が健康になり、経済的にもゆとりができたのは、広宣流布のために働くためだ。
 こんなにも幸せになった自分の体験を語り、人びとを幸福にするためだ。だから、仏法のためには、なんでもさせていただこう
 県南の村まで、列車やバスを乗り継ぎ、さらに徒歩で、往復七時間がかりで通い続けたこともあった。
 仏法を語るために、汗を流すことに、無上の幸せを感じていた。
 彼女は、よく皆に、「私はたくさんの宝を持っているのよ」と語った。
 伸一が言ったように、若くして夫を亡くしたことや、病苦、経済苦、子育ての苦労など、すべての体験が、歓喜をもって人びとに語り得る宝石であると、岩田は、心の底から感じていたのだ。
 そして、多くの後輩たちに、こう訴えてきたという。
 「今、自分が病苦で悩んでいるからこそ、病で苦しんでいる人を救えるようになるのよ。
 経済苦の人は、経済苦の人を救えるようになるわ。地涌の使命に目覚めれば、すべてを生かすことができるわ」