小説「新・人間革命」 勇将 3 2013年 2月15日

烈風のなか、源義経の軍は、四国の阿波国徳島県)方向に船を進めた。激浪にもまれながらの渡海であった。
 苦しい航路ではあったが、強風が幸いし、六時間ほどで、阿波に着くことができた。だが、そこにも、平氏赤旗が翻っていた。
 五艘の船に分乗した義経軍の馬は、五十余頭にすぎなかった。
 しかし、平氏を蹴散らし、陸路、屋島へと向かった。途中、地元の武士も義経軍に加わり、陣容を増していった。
 勢いと団結は、人を魅了し、加勢を引き付ける。
 彼らは、夜間も行軍を続け、阿波と讃岐の国境の大坂峠を越え、屋島南部の対岸に迫った。ここで、辺り一帯に火を放った。
 もうもうと煙が立ち上り、火が燃え上がるのを見て、平氏の武将たちは、源氏の奇襲だ!と驚き、慌てた。
 平氏は御所を放棄し、安徳天皇を守りながら船に乗って、蜘蛛の子を散らすように、沖合へ逃げ始めた。
 平氏は、源氏は瀬戸内海を渡って攻めて来ると思い込んでいた。船の数も多く、海上での戦いには自信があった。
 その自信が弱点となった。背後からの攻撃に意表を突かれて、冷静さを欠いてしまったのである。
 戦いには、変化に次ぐ変化が待ち受けている。その時に、慌てふためき、狼狽するところにこそ、敗北の要因がある。
 源氏は、五、六騎から十騎ほどが一団となり、白旗をなびかせ、浅瀬の水を蹴立てて疾駆して来る。平氏の武将たちの目には、大軍の襲来と映った。
 義経が名乗りをあげた。一斉に平氏の船から矢が放たれ、戦いが開始された。
 その間に、義経軍の別の一団は、屋島に上陸し、御所などを焼き払っていった。
 よくよく見れば、源氏の騎馬は、平氏の大軍とは比較にならぬほど少数である。
 それに気づいた平氏の武将たちは、闇雲に遁走してしまったことが、悔やまれてならなかった。
 
■参考書籍
平家物語』杉本圭三郎訳注、講談社