小説「新・人間革命」 勇将 5 2013年 2月18日

屋島の戦いで源氏に敗れた平氏は、瀬戸内海に逃れ、西に向かう。
 そして、元暦二年(一一八五年)三月、壇ノ浦(山口県下関市)での戦いで完敗し、滅ぼされたのである。
 山本伸一は、庵治の四国研修道場で夜の海を見ながら、屋島の戦いを思い描いた。
 『合戦を前に、避難していった民は、恐れおののきながら、わが家が焼けるのを見ていたにちがいない。
 平氏、そして源氏は、貴族の世に代わって、武士の世をつくった。しかし、民の世は、まだ遠かった。
 日蓮大聖人の御出現は、壇ノ浦の戦いから三十七年後である……』 
 さらに伸一は、大聖人の「立正安国」について思いをめぐらしていった。
 『大聖人は、民の世をめざされたことは明らかだが、単に制度的な次元での民の世ではない。
 万民が平和と繁栄を享受し、幸せに暮らすことができる世であった……。
 社会の制度や仕組みは大切である。しかし、より重要なのは、それらを運用していく人間の心である。
 いかに制度が整っていても、人間のいかんによって、制度は悪用、形骸化されてしまう危険をはらんでいるからだ。
 大事なことは、為政者も民衆も、人間は等しく尊厳無比なる生命をもっているという、生き方の哲学を確立できるか否かである。
 また、人びとの苦しみに同苦し、他者の苦を取り除こうとする慈悲を、生き方の柱にできるか否かである。
 さらに、自己のエゴイズム、肥大化する欲望を、いかにして制御し、昇華していくことができるか否かである。
 その戦いが「立正安国」の「立正」といえる。
 そして、そうした生き方、考え方のもとに、社会の進むべき方向性を見いだし、政治のみならず、経済、文化、教育など、あらゆる分野で、人びとの幸福と繁栄と平和を築き上げていくことが「安国」となるのだ。
 「立正」なくしては、真実の「安国」はない。
 また、「安国」なき「立正」は、宗教の無力を裏づけるものとなろう』