小説「新・人間革命」 勇将 5 2013年 2月18日
屋島の戦いで源氏に敗れた平氏は、瀬戸内海に逃れ、西に向かう。
『合戦を前に、避難していった民は、恐れおののきながら、わが家が焼けるのを見ていたにちがいない。
平氏、そして源氏は、貴族の世に代わって、武士の世をつくった。しかし、民の世は、まだ遠かった。
さらに伸一は、大聖人の「立正安国」について思いをめぐらしていった。
『大聖人は、民の世をめざされたことは明らかだが、単に制度的な次元での民の世ではない。
万民が平和と繁栄を享受し、幸せに暮らすことができる世であった……。
社会の制度や仕組みは大切である。しかし、より重要なのは、それらを運用していく人間の心である。
いかに制度が整っていても、人間のいかんによって、制度は悪用、形骸化されてしまう危険をはらんでいるからだ。
大事なことは、為政者も民衆も、人間は等しく尊厳無比なる生命をもっているという、生き方の哲学を確立できるか否かである。
また、人びとの苦しみに同苦し、他者の苦を取り除こうとする慈悲を、生き方の柱にできるか否かである。
さらに、自己のエゴイズム、肥大化する欲望を、いかにして制御し、昇華していくことができるか否かである。
その戦いが「立正安国」の「立正」といえる。
そして、そうした生き方、考え方のもとに、社会の進むべき方向性を見いだし、政治のみならず、経済、文化、教育など、あらゆる分野で、人びとの幸福と繁栄と平和を築き上げていくことが「安国」となるのだ。
「立正」なくしては、真実の「安国」はない。
また、「安国」なき「立正」は、宗教の無力を裏づけるものとなろう』