小説「新・人間革命」 勇将 6 2013年 2月19日
日蓮大聖人の御生涯を、迫害に次ぐ迫害の人生としていったものは、大聖人が「広宣流布」「立正安国」を掲げられたことにある。
すなわち、大地震、飢饉、疫病などによって苦悩する人びとの現実を見すえ、その救済に立ち上がられたことにある。
当時、仏教界は、権力に迎合、癒着し、仏法の根本に立ち返って、教えを検証しようという姿勢も、努力もなくしていた。
現実逃避など、人間を無気力にしていく宗教が、横行していたのである。
大聖人は、人間の生き方の基盤となり、活力の源泉となる宗教について、根本から問い直し、人びとの胸中に正法を打ち立てようと、折伏・弘教の戦いを起こされた。
その矛先は、国を治める指導者にも向けられていった。
「立正安国論」による国主諫暁である。権力を掌中に収めた人が、いかなる考えをもつかが、多くの民衆の生活を大きく左右するからだ。
権力者を諫めれば、大反発を招き、迫害に至ることは自明であった。
しかし、多くの民衆が飢え、病に倒れ、苦悩している姿を目の当たりにして、仏法者として看過できなかったのである。
それが、大聖人の御決意であり、そこに、仏法者の真の生き方の範がある。
なかでも、竜の口の法難は、命に及ぶ大法難であった。大聖人は「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」(同二二三p)と綴られている。
─日蓮という者は、去年(文永八年)の九月十二日の子丑の時(夜半)に頸をはねられたと仰せである。
つまり、凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、末法の御本仏としての御境涯を顕されたのだ。発迹顕本である。