小説「新・人間革命」 勇将 8 2013年 2月21日
熱原の農民信徒のなかでも、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は、命に及ぶ大難のなかで、微動だにすることなく正法正義を貫き、殉教していった。
この熱原の三烈士の殉難は、悲愴なドラマではない。
法難に立ち向かうなかで、生死の苦しみの縛を離れ、成仏という永遠なる絶対的幸福境涯を確立したのである。
正法のために、殉教していった人もいる。
また、生きて戦い抜いた人もいる。いずれにせよ、広宣流布に一切を捧げ抜くことを深く決意し、果敢な実践を開始していくなかに、発迹顕本があるのだ。
初代会長・牧口常三郎は、一九四三年(昭和十八年)ごろから、「学会は発迹顕本しなくてはならん」(注1)と、口癖のように語っていた。
戸田城聖をはじめ、牧口の門下生は、その意味がわからなかった。
そして、軍部政府による、あの大弾圧が学会を襲ったのだ。
牧口は捕らえられるが、むしろ国家諫暁の好機ととらえ、仏法の正義を叫び抜いて、殉難の生涯を閉じた。
永遠の創価の師・牧口の発迹顕本といえよう。
四五年(同二十年)七月、生きて牢獄を出た戸田は、殉教した師・牧口に広宣流布を誓うのである。
戸田は記している。
この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」(注2)
その自覚は、戦後、広く会員に浸透していったが、各人の自覚にすぎず、「いまだ学会自体の発迹顕本とはいいえない」(注3)状況であった。
学会が一丸となっての広宣流布への本格的実践がなかったからだ。
■引用文献