小説「新・人間革命」 勇将 9 2013年 2月22日

 一九五一年(昭和二十六年)、戸田城聖が第二代会長として立つと、全会員は広宣流布の使命を自覚し、折伏大行進を開始した。
 その同志について、戸田は、こう述べている。
 「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。
 三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする」(注1)
 そして、「これこそ発迹顕本であるまいか」(注2)と叫び、牧口会長の遺志をついで、東洋への広宣流布の使いとして、仏法に身命を捧げることを誓っている。
 いわば、私たちにとって、発迹顕本とは、人びとの幸福と平和を実現する広宣流布を、人生の至上の目的、使命と定め、その果敢なる実践を、現実生活のなかで展開していくことにある。
 御本仏・日蓮大聖人の眷属であることを、行動をもって示し抜いていくのだ。
  
 山本伸一は、四国研修道場の庭で、夜の海を見ながら、竜の口の頸の座に臨まれた大聖人の御振る舞いを偲び、その大随喜の御境涯を思った。
 それは、末法の不幸の闇を晴らす太陽が、赫々たる輝きを放ち、大宇宙を黄金に染める瞬間であるように感じられた。
 その時、瀬戸の空に光が走った。流星である。さらに、二つ、三つと、光が流れた。
 伸一の脳裏に、思わず句が浮かんだ。
  
  流星に  顕本見えたり   庵治研修
  
 伸一は、大聖人の御境地に思いを馳せながら、齢五十にして、広布第二章の「支部制」という新出発の時を迎えた今、わが人生の、さらに、新しい創価学会の発迹顕本といえる戦いを開始せねばならないと、深く、強く、心に誓ったのである。
 
■引用文献
 
注1、2    創価学会の歴史と確信」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社