【第11回】 富士のように堂々と! (2013.3.1)

きびしい冬の寒さも、少しずつ、やわらぐ季節になってきました。
 土の中で力をたくわえていた動物たちが顔を出し、つぼみでジーッと時を待っていた植物たちも花を開きます。
 あらゆる生命が、生き生きと活動を始める季節です。
 春3月は、旅立ちの時でもあります。
 小学校を卒業するみなさん、おめでとう! この6年間、本当に、よくがんばりました! 私は、一人一人と握手をして、お祝いしたい思いでいっぱいです。
 とりわけ、東日本大震災から2年、どんな困難にも力を合わせて立ち向かって、前へ進んできた、被害にあわれた地域のみなさんを、私は最大にたたえます。
 中学校に行っても、ますます強く明るく、私といっしよに、「希望の道」をあゆんでいってください。
 
 在校生のみなさんも、学年が一つ上がりますね。この時期は、「よし! 新しい学年は、もっと、がんばるぞ!」と、新たな決意をするチャンスです。
 「決意をする」ということは、成長のスイッチを入れることです。前進のエンジンをかけることです。
 私も、師匠の戸田城聖先生から、いつも決意を聞かれました。
 「できるかい?」
 私は、そくざに「はい! やります」とお答えしました。
 みんなが「それは、無理だろう」ということも、たくさんありました。
 でも、師匠の前で決意し、約束したことです。できないわけがないと決めて、真剣に祈り、思いっきり挑戦しました。
 そうすると、ぐんぐんと力がわいてくるのです。そうやって、一つ一つ、ねばり強く、やりとげてきました。
 その分、自分自身が強くなり、成長でき、前進できました。これが、私の青春です。
   
 今、創価学園の卒業式は毎年、3月16日におこなわれる伝統になっています。
 この日は、55年前、戸田先生のもとに、私たち青年が集まって、先生の後を受けつぎ、世界の平和と民衆の幸福のために戦っていく、決意の式典をおこなった日です。
 富士山のすそのに、全国から6000人の青年が、かけつけました。
 式典が大成功するように、すべてをまかされたのが、当時、30歳の私です。
 戸田先生は、前の年に重い病気にかかられたこともあって、歩くことも困難な、お体でした。
 それにもかかわらず、先生は、まだ寒い中、朝早く、遠くから集まってくる青年たちのためにと、あたたかい「とん汁」まで用意してくださったのです。
 弟子を思う師匠の心に、みなが胸を熱くしました。
   
 式典は、私の司会でスタートしました。
 戸田先生は、青年たちに「未来は君たちにまかせる。たのむぞ、広宣流布を!」と、さけばれました。そして晴れ晴れと、「創価学会は、宗教界の王者である」と、力強く宣言されたのです。
 日本一の王者の山である富士山が、すべてを見守ってくれていました。
 私たちは、「戸田先生に続いて、富士山のように堂々と、王者の力をもつのだ! 広宣流布を進めて、世界の大指導者とも、広々と友情を結んでいくのだ!」と心から決意しました。
 今、そのとおりの世界的な創価学会になっていることは、みなさんも、よく知っていることでしょう。
  
 富士山は、とても美しい。日本一の高さ3776メートルは、まわりに高い山がないため、ひときわ輝いて見えます。
 それだけに、山頂では、嵐のような烈風が吹いていることが多い。
 富士は、いつも戦っているのです。
 しかし、そんなことを少しも感じさせず、春夏秋冬、いつでも動かずに、私たちに無言のはげましをおくってくれている──それが、富士山です。
 私は、「猛吹雪 されど厳然 富士の山」という句を作ったことがあります。
 私が、小学5年生の時、担任の檜山先生が、大切なことを教えてくれました。
 それは、有名な剣豪・宮本武蔵の人生をえがいた小説の一場面でした。
 「あれになろう、これになろうとあせるより、富士のように、だまって、自分を動かないものに作りあげろ」
 心に光がさしこむ思いがしました。
 ずっと心にとどめ、私の大好きな一節となりました。
 「どんなに、つらい時も、富士のように、にげずに挑戦する自分に成長しよう!」
 この思いで、病気になっても読書にはげみ、家が経済的に苦しい時は、新聞配達をしたり、家の「海苔づくり」の仕事を手伝ったりしました。
 戦争で、家を焼かれ、兄を亡くし、わが家は何もかも失いました。
 戦争が終わり、戸田先生の会社で、はたらくようになってからも、何度も何度も、「もうダメだ」と、あきらめたくなるような時がありました。
 けれども、そのたびに富士を思い、なやみを悠々と見おろすように心がけました。「今に見よ!」と、負けじ魂を燃え上がらせて、困難に向かって、ふたたび挑戦していきました。
 そうして、私は、戸田先生の夢を、全部、実現してきたのです。
 「富士のように堂々と」──この心を、私は、大切な友人であり、世界平和の信念をつらぬいてきた、ロシアのゴルバチョフ元大統領とも語り合いました。
 ゴルバチョフ元大統領は、私がさつえいした富士山の写真を、仕事をする部屋にかかげて、毎日、見てくれているといいます。
    
 「3・16」の式典(3月16日におこなわれたことから、こう呼ばれています)を通して、私は、戸田先生から、一番大事なものを受けつぎました。
 それは、広宣流布という、もっとも偉大な平和の使命のバトンです。
 陸上のリレーでは、先の走者と後の走者が二人いっしよに全力で走りながら、タイミングを合わせてバトンを手渡していきますね。
 同じように、弟子は、ただ待っているのではありません。自分から決意して走りだして、師匠からのバトンを受け取っていくのです。
 このバトンを、私は今、未来に向かって前進している、希望あふれる少年少女部のみなさんに渡します。
 今年も、まもなくおとずれる「3・16」は、みなさんと私の晴れやかな「旅立ちの式典」です。
 私が、これまで命をかけて開いてきた、世界への「友情の大道」「平和の大道」は、すべて、みなさんのためにあります。
 富士のように、堂々と前進しよう!
 王者のように、今日も勝利しよう!
 そのために、私も毎日、題目をあげて、みなさんにエールを送り続けていきます。
 
  負けるなと
    いつも堂々
       富士の山
 
 
宮本武蔵の言葉は『吉川英治歴史時代文庫19 宮本武蔵(六)』(講談社)から、表記をやさしく改めた。