小説「新・人間革命」 奮迅 30 2013年6月7日

西峯富美は、福井県に二男五女の六番目として生まれた。家は貧しく、中学校を卒業すると働きに出た。
 一九六二年(昭和三十七年)、知人の紹介で、東京・目黒区で中華料理店を営む夫の功と結婚。その時、学会員であった功に勧められて入会した。
 しかし、夫に従っただけで、一生懸命に信心に励むわけではなかった。
 やがて夫妻は、中華料理店をやめ、仕出し弁当店を始めた。
 富美が発心した契機は、結婚して五年目に生まれた長男が、生後四カ月で肺炎にかかり、他界したことであった。心は無残に打ちのめされた。宿命の厚い壁を感じた。
 その時、親身になって、優しく、力強く励ましてくれたのが学会員であった。
 「あなたが信心に励んで、幸せになっていくことが、亡くなった坊やへの最大の供養になるのよ。いつまでも悲しんでいては、坊やも悲しむわ。きっと坊やも、
 『ママ、元気になってね!』って応援していると思うわ」 その言葉は、彼女の心に熱く染みた。
 『そうだ。強くならなければ。亡くなったあの子の分まで、信心に励もう』 
 富美は、婦人部員として学会活動の第一線に立つようになった。
 六八年(同四十三年)、調理場の油鍋の火が天井に燃え移り、大火災になりかけた。
 しかし、近所の商店の人たちが消火器で消し止めてくれ、小火ですんだ。
 消防車が到着する前に鎮火し、放水せずに終わった。
 富美は『守られた!』と思った。以来、夫妻は、火の扱いには人一倍神経を注ぐとともに、商店街の人たちに対して深い感謝の思いで交流を図っていった。
 すると、地域での信頼も増した。?変毒為薬?を心の底から実感し、仏法の功徳を噛み締めるのであった。
 信心ある限り、人生の不遇も、失敗も、すべて生かし切っていくことができる。ゆえに、仏法者に行き詰まりはない。
 「ただ唱題」「ただ、ただ広布」──その炎のごとき一念と実践が、暗夜を開いていくのだ。