若芽 16 2013年 11月7日

児童の多くの親たちは、「有名中学に入ることが、偏差値の高い有名大学に進むことにつながり、それが一流企業など、社会的評価も高く、高収入で安定した職業に就く道である。
そして、そこに人生の幸福がある」との考えに立っていたのである。
しかし、社会は常に変化を遂げ、企業の永続的な安定を保証するものなど何もない。
希望する企業に入ったとしても、必ずしも、希望する仕事に就けるとは限らない。
また、長い人生にあっては、人間関係で苦しむこともあれば、病に倒れることもあろう。
したがって、子どもたちが幸福を築き上げるには、知識だけでなく、どんな事態に遭遇しようが、怯まずに困難を乗り越えていける精神の力や知恵、向上心、挑戦心などを培うことが大切な要件となる。
そして、そのための基盤をつくる時代の始まりが学齢期であると、山本伸一は考えていたのである。
そもそも、牧口常三郎創価教育学は、教育の目的は、子ども自身の幸福にあるとし、「どうすれば生涯、幸福生活を送らせることができるか」をテーマにしている。
その幸福生活を牧口は、「価値を遺憾なく獲得し実現した生活」(注1)であると定義した。つまり、自身のなかの無限の創造性を開花させて、価値創造の喜びの人生を歩むことが、幸福生活であると考えたのである。
したがって彼は、知識の切り売りや、暗記中心の「詰め込み教育」に厳しい眼を向け、次のように述べている。
「教育は知識の伝授が目的ではなく、学習法を指導することだ。研究を会得せしむることだ。知識の切売や注入ではない。
自分の力で知識することの出来る方法を会得させること、知識の宝庫を開く鍵を与へることだ。
労せずして他人の見出したる心的財産を横取りさせることでなく、発見発明の過程を踏ませることだ」(注2)
教育は、知識を与えることを目的とするのではなく、自分で考え、自分で得た知識を生かしていく方法を会得するためにあるのだ。