若芽 57 2013年 12月27日

東京創価小学校の開校一年目は、創立者山本伸一と、さまざまな黄金の思い出を刻みながら、堅固な建設の礎を築くことができた。 
開校二年目となる一九七九年(昭和五十四年)四月、希望に胸を膨らませて、新入生が「創小」に集ってきた。
伸一は、この四月の二十四日、創価学会第三代会長を辞任する。
彼の胸には、自身が最後の事業と定めた、人類の平和を実現しゆく創価教育に、ますます力を注ぎ、生涯を捧げていこうとの決意が燃え盛っていた。
会長辞任を前にした四月九日の第二回入学式へのメッセージに、伸一は、こう記した。
「何があっても負けない子になってください。どんなにつらくとも泣き虫ではなく、心に太陽をもって進んでいく子であってほしいのです」
ひとたびは華やかな勝者としてスポットライトを浴びても、打ち続く人生の試練に打ちのめされてしまえば、結局は敗者となる。負けない強い心をもった人こそ、真の勝者だ。
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは綴った。
「人間の本性は、逆境に陥ったときにはじめてはっきりと現れてくる」(注=2面)
東京創価小学校から最初の卒業生が巣立っていったのは、一九八二年(昭和五十七年)三月であった。卒業式で伸一は、訴えた。
「『平和』の二字だけは生涯忘れてはならない」「『平和』というものをいつも念頭において、一生懸命、力をつけてもらいたい、これが私のお願いです」
教育も、文化も、宗教も、すべては、人間の幸福のためにあり、平和のためにある。
創価教育の使命もまた、人びとの幸せのために、社会に貢献し、世界の平和を創造していける人材を育むことにある。
創価教育の父・牧口常三郎は、その平和への道筋は、軍事的競争、政治的競争、経済的競争を経て、人道的競争の時代にいたることを予見している。
それを担う、人類益的視野に立った人材の育成を、伸一はテーマとし、願業としていたのである。