激闘43  2014年5月12日

山本伸一が出席して鹿児島会館落成の式典が開かれたのは、一九六三年(昭和三十八年)十一月二十三日午前のことであった。
会館は、眼前に錦江湾が広がり、噴煙を上げる桜島を望む風光明媚な地にあった。
約七百平方メートルの敷地に立つ、延べ面積約四百五十平方メートルの鉄筋コンクリート二階建ての重厚な造りで、九州本土では福岡の九州本部に次いで完成した会館であった。
二階の大広間は六十五畳である。後年、各地に誕生する文化会館や講堂から見れば、小さな建物にすぎなかったが、当時としては大会館の落成であった。
この会館が鹿児島の会員にとっては、大きな誇りとなっていった。
この日の朝、伸一は、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が、二十二日午後零時半(日本時間二十三日午前三時半)に、テキサス州ダラスで銃弾に倒れたことを知った。
伸一は、ケネディとの会談を予定していたことがあった。
直前になって日本の政治家の横槍が入り、会談は実現しなかったが、彼はケネディに大きな期待を寄せていた。世界の
平和への強い意志を感じていたからである。それだけに、彼の死が残念でならなかった。
この時、伸一は、人類の平和実現への誓いを、一段と深く心に刻んだのである。
鹿児島会館の落成の式典は、地域広布への一途な情熱と喜びがあふれる集いとなった。
あいさつに立った彼は、「仏法即社会」であるがゆえに、常識豊かな行動が大切であることを訴えた。
「いかに真剣であったとしても、悲壮感に満ちて、ピリピリし、また、突飛な行動に走るような信心は、かえって、社会の信頼を失い、法を下げてしまいます。
非常識な振る舞いは、本来の信仰者の在り方とは対極にあることを知っていただきたいのであります。
周囲の人から見て、『あの人は、本当に、日々楽しそうに生きている』『あの人のところへ行くと、なんとなく信心をしたくなってしまう』と言われる人生を歩むことこそ、仏法が真実であることの証明なんです」