激闘44  2014年5月13日

 
山本伸一は、日蓮大聖人の仏法に基づく考え方、生き方は、普遍であり、時代、社会をリードする規範となることを語っていった。
「私は、かつて、牧口先生を知る先輩方から伺った一つに、こんな話がありました。
戦時中、入営や出征することになった人に対して、牧口先生は、『必ず、生きて帰っていらっしゃい』と言われたというのです。
また、当時は、盛んに『滅私奉公』が叫ばれていましたが、先生は、断固として、こう言われ続けたと聞きました。
『道理に合わない滅私奉公などできないし、またすべきではない。
自己をむなしくせよというのは、とんでもない誤りだ。国も国民も、共に栄えるのでなければならない』
それが、仏法を根底にした理念です。
大聖人の仏法のなかにも、『死身弘法』『不自惜身命』とあります。しかし、それは、決して、死ぬことを礼讃するものではありません。
私たちの実践でいえば、生涯、御本尊を離さず、題目を唱えに唱え、喜々として広宣流布に生き抜いていくことです」
伸一は、鹿児島人の、また、九州人の一途な情熱に敬意を表していた。最大の期待も寄せていた。
だからこそ、その力を、一瞬の花火のように終わらせてしまうのではなく、永続的な広宣流布の推進力にしていってほしかったのである。
彼は、会館落成の式典が終わると、館内に入りきれず、外で待機していた人のもとに走った。
そして、励ましの言葉をかけ、自ら、「鹿児島健児の歌」の指揮を執った。
その日から十四年半の歳月が流れていた。
伸一が、県長の利安真吉と共に、鹿児島会館に到着したのは、午後四時であった。
会館には、県幹部の代表らが集っていた。
「皆さんにお会いしに来ましたよ。
私は、この鹿児島会館が大好きなんです。
雄壮な桜島、そして、闘魂あふれる鹿児島の同志を見ると、勇気が湧きます。皆さんのために、私は走ります。戦います」