激闘47  2014年5月16日

宮中直子が入会したのは、一九六二年(昭和三十七年)のことであった。信心によって事業の倒産の危機を乗り越えた自分の両親から、学会の話を聞かされたのだ。
彼女は、信心をする気など全くなかった。
母親は、「人生には福運が大事よ。その福運を積むには、この仏法しかないわ。
まだ、福運が残っているうちに、早く信心をしなさい」と、盛んに入会を勧めるのだ。
直子は、母親の熱心さに、娘を思う真心を感じて、入会に踏み切ったのである。
しかし、夫の栄蔵は信心には反対だった。「騙されているんだ!」と、頭から決めてかかった。
彼の耳に入ってくる創価学会についての話は、偏見に満ちた流言飛語の類いばかりであったからである。
デマを打ち破るには、勇気をもって真実を語り抜くことである。その挑戦を怠れば、デマに真実の座を譲り渡すことになる。
彼女は、信心を始めたものの、御本尊を安置することもできなかった。
しかし、入会したからには、真面目に信心をしなければと、夫が出勤したあとに、タンスから御本尊を出して勤行した。学会活動にも参加した。
会合に参加し、教学を学び、人びとの幸福を願って仏法を語っていくと、自分の生命が弾むように感じた。
次第に、学会活動が楽しくて仕方なくなっていった。
夫の栄蔵は、頭を抱えた。彼は、結婚当初から、「やっかいな嫁さんをもらった」と、悩んでいたのだ。
というのは、直子は一人娘で、わがまま放題に育ったために、結婚して
からも、掃除や裁縫など、家事は、ほとんどしなかったのである。
結婚式を挙げた日の夜、夫から家計簿を渡されたが、つけたことは一度もなかった。
料理くらいは、自分も食べなくてはならないので作りはしたが、寝坊をして朝食を作らないことも、しばしばあった。
そのくせ買い物が大好きで、デパートへは足しげく通い、おしゃれな服をたくさん買い込んでくるのだ。
そこに、今度は信心を始めたのである。