激闘57  2014年5月28日

ピアノ演奏を終えた山本伸一は、マイクを取って皆に言った。
「全員、幸せになってください。私は、皆さんの会長として、何があっても、皆さんを守っていきます。皆さんは、安心して、勇気をもって、信心を貫いてください」
山本伸一が、体験談大会の会場を出ようとした時、「先生!」と言って、彼を追いかけてきた、一人の壮年がいた。
「先生、かつて、ビルマ(現在のミャンマー)でお会いした絹谷清次です」
「あっ、あの時の……。懐かしいなー」
絹谷は、十七年前の一九六一年(昭和三十六年)二月七日、伸一がビルマを訪問した折に、ラングーン(現在のヤンゴン)の空港で一行を出迎えてくれた一人であった。
当時、彼は漁業会社に勤め、ビルマで漁業技術の指導に当たっていたのである。
その翌日も、彼は一行と行動を共にし、日本人墓地で行われた、伸一の長兄・喜久夫をはじめ、戦没者への追善法要にも参列していた。
ビルマは、伸一が訪問した翌年の六二年(同三十七年)、クーデターによって軍事政権が誕生し、鎖国的な社会主義政策がとられてきた。
七四年(同四十九年)には、国名を「ビルマ連邦社会主義共和国」と改称。深刻な経済危機をどう乗り越えるかが、国としての大きな課題となっていた。
伸一は、絹谷と握手を交わしながら言った。
「今、ビルマは、大変な状況に置かれています。しかし、あなたと一緒に蒔いた妙法の種子は深く根差して、いつか芽を出し、花を咲かせ、実を結んでいくことは間違いありません。
私は、ビルマの繁栄と平和と人びとの幸福を真剣に祈っています」
そして、絹谷に歌を贈ったのである。
    
懐かしき あの日 あの時 ラングーン 君の面影 忘れじ嬉しく