求道4  2014年6月17日

東北婦人部長の斉間恵と書記長の野崎裕美は、同じ年の生まれで、共に女子部時代から、東北広布に青春をかけてきた。
斉間の入会は一九五四年(昭和二十九年)四月であった。
高校卒業後、勤めた会社の先輩である学会員から、よく仏法や学会について、話を聞かされた。
だが、宗教には興味も関心もなかった。せせら笑いながら聞き流していた。
また、その話を、家族に面白おかしく語り、嘲りのタネにしていたのである。
ところが、ある時、宿命についての話が胸に突き刺さった。斉間の父は、幼少期に父親を亡くして女手一つで育てられた。
母は、尋常小学校の時に母親と死別していた。
父母の不遇な生い立ちを耳にして育った彼女は、「宿命転換」という言葉に心を動かされた。
手渡された「聖教新聞」を貪るように読んだ。過酷な宿命を乗り越えて、幸せをつかんだ幾つもの体験に感動を覚えた。
そして入会を決意したのだ。
それまで、さんざん学会を批判してきただけに気まずくもあったが、意を決して信心を始めた。
入会して三日目の四月二十四日午後、戸田城聖と青年部の室長であった山本伸一らが、仙台支部総会に出席するために、仙台を訪問した。
斉間も、学会の先輩に、「戸田先生をお迎えしよう」と言われ、仙台駅へ行った。
駅には、たくさんの人が詰めかけていた。
染みの付いた割烹着を着た婦人や作業服姿の青年など、皆、身なりは貧しかった。
しかし、表情は生き生きとしていた。「こんなに大勢の人が信心しているんだ」と思った。
そして、戸田と伸一の、堂々たる姿を間近に見た。心強さを覚えた。
翌二十五日、仙台市公会堂での支部総会は、熱気に満ちあふれていた。
「御本尊への唱題以外に幸福になる道はない!」と力説する戸田の言葉を、頬を紅潮させながら聴いた。
「一人残らず幸せにしてみせる」という勢いが、ほとばしっていた。
気迫が人の心を打つ。
彼女は、本気で信心してみようと思った。