求道45  2014年8月5日

山本伸一の乗った車は、再びスピードをあげた。彼は、同乗していた田原薫に尋ねた。
「途中、私が訪問すべきお宅があったら、お訪ねしますので、言ってください。次は、いつ来られるかわからないからね」
「ありがとうございます」
田原が最初に案内したのは、釧路市中園町の石沢清之助・ヤス夫妻の家であった。
石沢家は、置物などの贈答品店を営んでいた。
伸一は、自宅の玄関に回って、チャイムを鳴らした。ドアを開けた妻のヤスは、「先生!」
と言って、しばらく絶句した。
「こんにちは! おじゃましますよ」
「……み、みんなで、祈っていたんです。先生、奥様が、ご無事に到着されるように」
「ありがとう。雲が急に晴れて、着陸できたんですよ。皆さんのお題目の力です」
「まあ! ところで先生。主人は、今では本当に元気になり、店も繁盛しております」
十一年前の一九六七年(昭和四十二年)八月、伸一は釧路会館を訪問し、幹部会に出席した折、石沢夫妻と会い、励ましていた。
実は、その前年の九月、北釧路支部支部長をしていた清之助が脳出血で倒れたのだ。
右半身が麻痺し、ろれつも回らなくなった。
やむなく、高校を卒業して浪人中だった次男の宏也が、進学をあきらめ、家業を担った。
医師は「トイレに行けるようになれば、幸いだと思ってください」と、夫妻に告げた。
「俺は、学会員だ。負けるものか!」
清之助は、真剣に祈り、懸命にリハビリに励んだ。体は少しずつ回復し、なんとか歩けるようになった。
そして、伸一の釧路訪問を聞くと、夫妻で釧路会館に駆けつけたのだ。
その時に、伸一は、強い確信を込めて、二人に訴えた。
「『祈りとして叶わざるなし』の御本尊です。必ず治ります。次に私が釧路へ来る時には、元気な姿を見せてください。断固、長生きしてくださいよ」
確信が確信を呼び覚ます。指導とは、生命の共鳴をもって信心を覚醒させる作業である。