求道46  2014年8月6日

石沢清之助とヤスは、釧路会館で山本伸一の指導を受けると、決意を新たにした。
彼らは、一九五八年(昭和三十三年)に入会してからの来し方を思った。そもそも夫妻が信心を始めたのは、次男の宏也の心臓病を治したい一心からであった。
入会してほどなく、見事に、その願いは叶った。
そして、入会一年五カ月後、火事によって、営んでいた製麺業の工場と自宅が全焼してしまった。
着の身着のままで焼け出されたが、その時も再起することができた。
大小、さまざまな試練があった。
しかし、御本尊を疑わず、広宣流布に生きようと決め、唱題と弘教に励むことによって、すべてを乗り越え、変毒為薬してきたのである。
「今度も、健康を取り戻せぬわけがない。次に山本先生が釧路に来られる時には、必ず元気はつらつとした姿でお会いしよう!」
夫妻は、共に、こう心を定め、伸一との再会をめざして信心に励んできたのだ。
ヤスは、伸一たちを部屋に案内すると、贈答品の店は繁盛し、次男が結婚して二人の孫にも恵まれたことを、嬉しそうに語った。
しばらくして、外出していた嫁と孫娘が帰宅し、さらに、主の清之助も孫の手を引いて帰ってきた。
しっかりとした足取りである。
彼は、伸一を見ると、「先生!」と言って正座し、頭を下げた。
それから背筋を伸ばし、「脳出血で……」と言いかけ、声が途切れた。
目に涙があふれ、嗚咽が言葉をさえぎるのだ。
涙、涙で何も言えない夫に代わって、妻のヤスが語った。
脳出血で倒れたことが?のように、今では、このように健康になりました」
伸一は、ぎゅっと清之助の手を握った。
「よかった。本当によかった。真面目にやってきた人が最後は勝つ──それが仏法です。
広宣流布を使命とする創価学会とともに生き抜くなかにこそ、信心の正道があります。
だから、こうして病に打ち勝てたんです」