求道47  2014年8月7日

山本伸一は、石沢清之助・ヤス夫妻の信心の勝利を讃えた。
学会員の功徳の体験を聞くことこそが、伸一の最高の喜びであった。
そのあと、彼は、石沢の自宅と隣接している店に顔を出し、従業員にも声をかけた。
見送る一家に、彼は言った。
「今日は、ありがとう。嬉しい、いい思い出をつくらせてもらいました。あなたたちのことは、一生忘れません。お元気で!」
翌日、伸一は、ヤスに句を贈っている。
「讃えなむ 釧路の母の 歴史見む」
午後六時過ぎ、石沢宅を出た伸一たちが向かったのは、約七十キロ先の別海町西春別にある個人会館であった『別海広布』を願う同志の尽力によって、誕生した会館であるという。
伸一は、その真心に応えるためにも、ぜひ訪問したいと思った。
伸一の乗った車は、暮れなずむ緑の根釧原野を疾駆した。
やがて、雲のベールに包まれていた太陽が沈むと、夜の漆黒が訪れた。
個人会館に到着した伸一たちを、地元の代表が満面の笑みで迎えた。
「とうとう来ましたよ。憧れの別海に来ました。でも、遠いね」
伸一は、こう言いながら車を降りた。その瞬間、ゾクッと震えが走った。外気が冷たく感じられた。体調を崩していたのだ。
別海町は、根室市の北に隣接し、面積は、東京二十三区の二倍以上である。
主な産業は酪農と漁業で、なだらかな丘陵地には牧場風景が続き、人口の数倍の牛がいる。
降雨や降雪は少ない方だが、冬季の最低気温は、マイナス三〇度に達する日もある。
伸一は、個人会館で、地元のメンバーと懇談した。語らいのテーマは、別海をどのように繁栄させていくかになった。
彼は、皆と共に、真剣にその対策を考えていった。
いかなる地域、いかなる産業も、繁栄のためには、常に、改善と工夫がなされなければならない。
現状に安住し、その努力を怠るならば、待っているのは衰退である。