求道49  2014年8月9日

翌六月十四日、山本伸一は、北海道研修道場訪問の記念植樹をしたあと、構内を散策した。
研修道場は、別海町北部に位置し、標津町との境界になる当幌川下流の右岸にある。
霧のなかに、緑の森が続き、湿原には白い水芭蕉が微笑んでいた。
伸一は、湿原の小道を歩きながら、田原薫に言った。
「すばらしいところだね。研修道場のいたるところに、整備にあたってくださった方々の真心が感じられます。ありがたいことです。冬の作業は、大変だっただろうね」
すると、同行していた北海道の青年部幹部が、別海の厳しい寒さについて語った。
──冬、零下三〇度近くになると、飛来した白鳥の足が川の水に凍りついてしまい、飛べなくなって、もがいている姿を目にすることもあるという。
さらに彼は、役員をしていた一人の青年を、伸一に紹介した。
「先生。根室本部の男子部本部長をしている菅山勝司さんです。菅山さんは、研修道場の整備にも献身してくれました」
「ありがとう! 君のことはよく知っています。別海広布の開拓者だもの。
三、四年前、『聖教新聞』に体験が載っていたね。読みましたよ。すばらしい内容でした」
瞬間、菅山は自分の耳を疑った。
「先生が、俺のことをご存じだなんて!」
感動が胸を貫いた。
励ましは、相手を知ることから始まる。
伸一は、菅山と握手を交わした。小柄で、見るからに純朴で誠実そうな青年であった。
別海で生まれ育った菅山が入会したのは、一九五七年(昭和三十二年)のことである。
菅山の家は、二八年(同三年)に祖父が福島県から開拓者として移住。
やがて、でん粉工場を始めたが、経営が行き詰まり、酪農に切り替えた。
だが、それも軌道に乗らないうえに家族の病気が重なり、生活苦に喘ぐ日々が続く。
そのなかで祖父らが入会し、勝司も信心を始めた。十七歳の春である。