求道50  2014年8月12日

菅山勝司が、信心を始めた動機は、「食べるのがやっと」という生活から、抜け出したかったからである。
未来には、なんの希望も見いだせなかった。
また、もともと内気で、口べたであることに劣等感をいだき、それを克服したいとの、強い思いもあった。
そんな彼を、男子部の先輩は、確信をもって励ましてくれた。
「信心して学会活動に励んでいくならば、必ず生命力が強くなり、どこへ出ても恥ずかしくない立派な人材になれる。
皆、そうなっているんだよ。それを人間革命というんだ。
私たち青年の双肩には、日本の未来が、いや、世界の未来がかかっている。
君には、この別海の地から、日本を、世界を担い、支えていく使命があるんだよ」
力強い言葉に、彼は魅了された。自分の世界が、大きく開かれた気がした。
青年の魂を覚醒させるのは、確信と情熱にあふれた生命の言葉である。
菅山は、学会活動を始めた。当時、別海には、男子部員が四人しかいなかった。
彼らは札幌支部の所属で、道東の活動拠点は釧路であった。
経済的にも、時間的にも、釧路に行くことは難しく、四人で、たまに連絡を取り合うことしかできなかった。
一九六〇年(昭和三十五年)九月、男子部の先輩から、釧路で男子部の会合が行われるという連絡の葉書が届いた。
参加するのは無理だと思った。汽車賃がなかったからだ。
葉書には、第三代会長の山本伸一先生のもと、学会は怒濤の大前進を遂げていることも記され、さらに、こう訴えていた。
「環境に負けて、いつまでも会合に参加できないと言っていては、成長は望めません。
困難を乗り越え、弱い自分に勝って、まず会合に参加することです。
さあ、発心しよう。実行に移そう。そして、別海の中心にふさわしい人材に成長するのです……」
「環境に負けて」という言葉が、深く心に突き刺さった。
しかし、会合参加への心は定まらぬまま、当日が近づいていった。