求道65  2014年8月29日

谷沢千秋の弘教は、やがて、五十世帯を超えることになる。
また、彼女は、学会員に会うと、常にこう言って励ましてきた。
「どんなに厳しい冬でも、必ず春が来るではありませんか! 苦しい日が、いつまでも続くわけがありません」
一九七一年(昭和四十六年)、谷沢一家の営む雑貨店の前の道が整備され、標津から釧路に至る国道二七二号線として全面開通した。
交通量が増加し、店の利用客も増えた。翌年、雑貨店から二百メートルほど離れた国道沿いにドライブインを開いた。
その店の一切を、千秋が担うことになった。
彼女の夫は、七六年(同五十一年)に、安らかに世を去った。
子どもは末子の徳敬のほかに三人おり、それぞれ道東で、教育界や建築業界などで活躍していた。
千秋と徳敬は、二つの店の収入で、生活に窮することはなかった。
しかし、徳敬は、過疎のこの地で、このまま、この商売を続けていいのか、迷っていた。店を継ぐ決意自体が、固まってはいなかったのである。
雑貨店の谷沢商店を訪れた山本伸一は、徳敬の心を見通したかのように語っていった。
「人口も少ない別海の地で、商店を経営していくことは難しいかもしれません。
でも、人間の知恵は、力は無限なんです。それを引き出していく根源の力が信心です。
広宣流布のためのわが人生であると心を定め、唱題し、創意工夫を重ねていくならば、必ず道は開けます」
そして、伸一は、徳敬の手を、ぎゅっと握り締めて言った。
「どうか、この上春別の、別海の、大長者になってください」
「はい!」
徳敬は、決意のこもった声で答えた。この時、彼は、心にわだかまっていた迷いが、霧が晴れるように消えた思いがした。
伸一は、谷沢一家には、別海の同志のためにも、必ず活路を開き、地域に勝利の実証を示してほしかったのである。