小説「新・人間革命」広宣譜37 2015年1月5日

歓喜は、勇気を呼び覚ます力だ!
 歓喜は、苦悩を突き抜ける力だ!
 歓喜は、生命を蘇生させる力だ!
 歓喜は、共感の調べを奏でる力だ!
    
山本伸一は、全国の同志に?励ましの歌??勇気の歌?を贈ろうと、唱題に唱題を重ねながら、次々と歌の制作に取り組んでいった。
彼は、「関西の歌」と並行して、「千葉の歌」の作詞も手がけ、関西へ出発する前日の七月十六日には、完成させたのである。
日蓮大聖人が、真っ先に南無妙法蓮華経の第一声を放たれ、一切衆生を救済しゆく大法門を説かれ、久遠の夜明けを告げられた千葉である。
そこを、広宣流布の舞台にする同志は、「最も功徳を身に受け、幸せの実証を示してほしい」「弘教の大精神みなぎる、不退の人であってほしい」「日本一仲の良い、創価家族の模範であってほしい」と祈り念じつつ、「千葉の歌」を作り上げたのだ。
伸一が、千葉県長の竹田博明に、「千葉県が、未来に大きく飛躍していくバネにするため、県歌を作ってはどうか」と提案したのは、七月初旬のことであった。
伸一は、千葉県創価学会には大きな期待があった。二十一世紀の広宣流布を決する重要な県の一つであると考えていたからである。
千葉県は、県北西部を中心に、年々、東京のベッドタウン化が進み、東京に近接する地域では、住民の増加が著しかった。
新しい都市計画のもと、東京湾岸地域の埋め立て、開発は目覚ましい勢いで進み、将来は、新たな文化の発信地になることが予測された。
また、この年の五月には、成田に「新東京国際空港」(後の成田国際空港)が開港。世界に開かれた「日本の空の玄関口」となったのである。
その一方で、外房などの美しく雄壮な海岸や緑豊かな山々もあり、風光明媚な景観は、観光地としても大きな可能性を秘めていた。
「この大飛躍を遂げる千葉県に、広布新時代の模範の学会を!」と、伸一は思った。