小説「新・人間革命」広宣譜41 2015年1月9日

七月十九日午後二時前、関西指導を終えた山本伸一は、中国指導のために、京都駅から新幹線で岡山駅へ向かった。
中国の鳥取県で、二十二日に、七月度本部幹部会が開催されることになっていたのだ。
車中、彼は、「九州の歌」の歌詞の作成に取り組んだ。
実は、岡山文化会館(後の岡山南文化会館)で九州の代表幹部と会い、そこで、九州総合長の交代など、新しい布陣を敷くための人事の内示を行うことになっていた。
「広布の突破口を開く、大切な、大切な九州だ! わが闘魂を受け継ぐ師子の九州だ!」
彼は、その出発にあたり、新しい方面歌を贈ろうと考えていたのである。
岡山駅まで八十分足らずであったが、火の国・九州の友の顔を思い浮かべながら、生命の言葉を紡ぎ出し、歌詞を口述した。
隣の席に座った峯子が、それを書き留めていった。
歌作りは、多忙ななかの限られた時間でも、集中力を研ぎ澄まし、背水の陣の覚悟で挑戦した時に、良いものができることが多い。
伸一は、岡山駅に着くまでに、一応、歌詞を作り上げた。そして、「まだ推敲するから」と、峯子に告げた。
彼が岡山文化会館に到着したのは、午後三時半過ぎであった。
靴を脱ぐや、「『中国の歌』を作るよ!」と言い、そのままロビーで作業を開始した。
伸一のもとには、事前に、中国方面の有志が作詞した原案が届いていた。
筆を入れてほしいとの要請であった。 彼は、赤鉛筆を手にして言った。
「これでは、ちょっと弱いね。作ってくださった方には申し訳ないが、全面的に書き換えることになってしまってもいいかい?」
傍らにいた中国の幹部が声を揃えて、「お願いします」と答えた。
中国の同志へのあふれる想いをのせて、赤鉛筆が走った。
二十分ほどで、歌詞は、ほぼ固まった。原案の紙は真っ赤になっていた。
「続きは、また後でやろう!」 
一念を凝縮しての真剣勝負だった。