小説「新・人間革命」大道13 2015年 2月25日

万歳三唱のあと、山本伸一の導師で厳粛に勤行が行われた。
彼は、小豆島の発展と広宣流布を願うとともに、「わが同志に、幸よ、薫れ! 無量の功徳よ、降り注げ!」と、懸命に祈った。
皆の題目に唱和するかのように、外は蝉時雨に包まれていた。
勤行が終わると、伸一が小豆島に来る船のなかで詠んだ、「小豆島 天下の福運 今日よりは」等の句が、島の代表に贈られた。
マイクに向かった伸一は、包み込むような微笑みを浮かべ、十一年ぶりに小豆島を訪問した喜びを語り、懇談的に話を進めた。
「今日は、わかりやすくお話しさせていただきます。
釈尊は、さまざまな修行を積み、そして、その結果として仏になられた。
それを因行果徳といいますが、その功徳、福運は無量無辺です。日蓮大聖人は、『この釈尊の因行果徳は、ことごとく題目に具わっており、題目を受持するならば、自然に、その功徳を譲り受けるのだ』と仰せになっています」
観心本尊抄」の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書二四六p)の御文を、平易に彼は語ったのである。
「それほど、御本尊、お題目の功徳というものは偉大なんです。そこには、人知をもってしては測ることのできない力がある。
また、その功徳は、社会的な立場や学会の役職も、一切関係ありません。誰の唱えるお題目の功徳も、すべて平等です。
たとえば、財布の中にお金が入っている。財布はさまざまに異なっていても、中に入っているお金の価値は一緒です。
また、ロウソクに火をつける。どんな人が火をつけても、火に変わりはない。
題目の場合も、これと同じで、万人が等しく、功徳を受けることができるんです」
誰にでもわかるように仏法を語り説く。その努力があってこそ、真実の民衆仏法となり、そこに広宣流布の広がりがある。