【第67回】  断固、生き抜け、祈り抜け  (2015-2-5)

私の青春時代は、病気との闘いであった。それだけに、闘病する青年のことは、わが身のことと思って、強盛に題目を送っている。
日蓮大聖人は、重い病に罹(かか)った南条時光を「(信心強盛であるあなたが)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと、試みているのでしょう」(御書1587㌻、通解、「法華証明抄」)と励まされた。
仏法の眼(まなこ)から見れば、病にも深い意味がある。宿命を使命に変えて、自他共に仏の生命を勝ち取るための重大な転機なのである。
怯(ひる)んではならない。恐れてもならない。
「病によりて道心はをこり候なり」(同1480㌻、「妙心尼御前御返事」)と仰せの如く、いよいよ信心の炎を燃え上がらせ、断同と祈リ抜き、生き抜くのだ!
 
一切を御本尊に任せて勝つ
長い人生、生老病死の苦悩は、誰人(たれびと)も避けられない。家族の病気で悩む場合もあろう。
しかし、我らには妙法がある。苦しい時こそ御書を拝し、一切を御本尊に任せていくのだ。
「南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(同1124㌻、「経王殿御返事」)と断言なされているではないか。
変毒為薬の仏法である。必ず打開(だかい)できる。題目の師子吼を轟かせ、「常楽我浄」という永遠の幸福の軌道を勝ち聞いていくのだ。
 
若き友よ 健康第一であれ!
恩師・戸田城聖先生は、「大病を患(わずら)った人は人生の深さを知っている」と言われた。
病の人に寄り添い、支えることも、同じだ。試練を乗り越えてこそ、より深い境涯を築いていける。より丈夫になり、強い生命になれる。そして、人の苦しみを知リ、心から励ませる自分になれるのだ。
仏法では、この「一日の命」は、「三千界の財(たから)」すなわち大宇宙の財宝も及ばないと説かれる(同986㌻、「可延定業書」)
若き友よ、どうか、聡明に健康第一であれ! かけがえのない青春の一日一日、命という尊極の宝を、思う存分、輝き光らせてくれ給え! と、私は祈っている。