小説「新・人間革命」大道 18 2015年3月3日

「中部の歌」に山本伸一は筆を加えていった。
「よい歌を!」「永遠に歌い継がれる歌を!」との思いで加筆していくうちに、全く新しい歌詞になってしまった。それを、
さらに推敲し、作曲も東京で音楽の教師をしている壮年に依頼することにした。
そして、完成した歌は、直ちに中部の幹部に伝えられ、「中部の日」記念幹部会前日の七月二十六日付「聖教新聞」の、中部の各県版に歌詞と楽譜が掲載されたのである。
歌の題名は「この道の歌」である。
「明日の記念幹部会で発表される!」
中部の同志は胸を躍らせ、幹部会を待った。
七月二十七日の午後三時半、山本伸一は愛知県の名古屋文化会館に到着した。
彼は、同会館、さらに中部文化会館の館内を回りながら、中部本部長の田山豊隆、中部長の大田和介に、中部の現況を尋ねていった。
二人は、幾つかの地域で、宗門の僧が学会員に、脱会して寺につくように、さまざまな圧力を加えたり、学会を悪口雑言していることなどを報告した。
伸一の瞼に、横暴な悪侶の仕打ちにひたすら耐え、悔し涙を堪える、健気な会員の顔が浮かび、胸が張り裂ける思いがした。
彼は、静かに口を開いた。
「宗門の問題に限らず、最も大変ななかで頑張っている地域はどこですか」
中部長の大田が言った。
「現在、さまざまな観点から見て、いちばん苦しい状況のなかで、皆が必死に奮闘しているのが岐阜の東濃だと思います。
ここは圏になっており、多治見市や瑞浪市土岐市恵那市中津川市などで、多治見市には東濃文化会館がございます」
その圏の中心者は、今日の記念幹部会に来られますか」
「はい。出席いたします」
「では、開会の前にお会いしましょう。皆さんが、どんな思いで戦い、どんな状況なのか、直接、お話を聞くことが最も大切なんです。自分で実態をおさえていくんです」