小説「新・人間革命」大道 22 2015年3月7日

この道――それは、三カ月前の一九七八年(昭和五十三年)四月、この中部文化会館で開かれた本部幹部会で、会長の山本伸一が語った言葉であった。
あの日、伸一は師子吼した。
「われわれは、ひとたび決めたこの道――すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」
中部の同志は、それを、自身の指針としてとらえ、生涯、わが信念の大道を歩み抜こうと、心を定めてきたのである。
記念幹部会で、中部本部長の田山豊隆が、「この道の歌」の歌詞を三番まで読み上げると、激しい拍手が鳴りやまなかった。
伸一が口を開いた。
「では、ここで、この歌を合唱団の皆さんに歌っていただきましょう」
はつらつとして調和の取れた、力強い歌声がこだました。その声に皆も唱和した。
合唱団が歌い終わり、拍手が鳴りやむのを待って、再び伸一が言った。
「三重の富坂県長に歌ってもらいましょう」
三重でも、宗門の悪侶によって、多くの学会員が苦しめられてきた。
どんなに辛かろうが、仏法の眼を開き、堂々と広宣流布のこの道を歩み抜いてほしいとの思いを込め、伸一は三重県長の富坂良史を指名したのである。
長身で大柄の彼が、胸を張って歌い始めた。その声が辺りを圧した。
何があろうが、リーダーが微動だにせず、悠々と歌声を響かせ、信念の大道を突き進んでいくならば、創価の大城は盤石である。勝敗の決め手は、リーダーの一念にある。
富坂の独唱が終わった。
「上手だね。私は、どの県長が歌がうまいか、よく知っています。
でも、歌がうまいからといって、成仏できるわけではありません」
伸一の言葉に笑いが広がった。そこには、悪侶の陰湿な仕打ちも、笑い飛ばして朗らかに進む同志の、太陽の明るさがあった。