小説「新・人間革命」大道 23 2015年3月9日

「中部の日」記念幹部会は、山本伸一の司会・進行によって、笑いと歓喜の集いとなった。彼は、言葉をついだ。
「次は、参加者の皆さんが、男性陣、女性陣に分かれて、交互に歌ってはどうですか」
この提案を受けて、男性の参加者が立って、「この道の歌」を力強く歌い上げた。
続いて、女性の参加者が立って、誇らかに熱唱。記念幹部会は、楽しい歌合戦となった。
「うーん、どちらも上手だね。両方とも満点です。今日のところは引き分け!」
彼の「名司会」に会場は沸いた。参加者は「この道の歌」を深く生命に刻んだ。
伸一は、記念幹部会で、「聖人知三世事」の一節を拝して指導していった。
「我が弟子仰いで之を見よ此れ偏に日蓮が尊貴なるに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し、幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已」(御書九七四p)
伸一は、いかなる法を信じて生きるかによって、人間の生き方、考え方、生命の力も、すべて決まってしまい、信じる法のいかんが人生を決定づけていくことを訴えた。
「大聖人は、この御文の前の箇所で、どのような祈祷を行ったとしても、日蓮を用いないならば、日本国は必ず、壱岐対馬が蒙古に侵略されたように、同じ事態に遭遇
してしまうであろうと御予言になっております。
そして、『わが弟子よ! この言を信じて、その時を見なさい』と言われている。
さらに、『これは、日蓮が尊貴であるのではなく、法華経のお力が殊に優れているこ
とによるのである』と御断言になっています」
人の心は、ともすれば揺れてしまうし、混沌とした時代の行方は見えない。
しかし、偉大な法に立脚するならば、人もまた、偉大な力を発揮していくことができる。
どこまでも根本は法である。だが、その法を説き、教えてくれる人がいなければ仏法はない。