小説「新・人間革命」 勝利島 7 2015年 7月28日

この十月七日、離島本部の総会に先立ち、第一回「沖縄支部長会」が、学会本部の師弟会館で開催されることになっていた。
沖縄の同志は、会長・山本伸一の訪問を強く願ってきた。
伸一は、一九七四年(昭和四十九年)二月の沖縄指導では、石垣島宮古島へも激励に訪れた。
以来、四年以上、伸一の沖縄訪問はなかった。
沖縄の首脳幹部は、県長の高見福安を中心に話し合った。
幹部の一人が言った。
「山本先生は、会長就任以来、昭和四十九年までに、七回、沖縄に来てくださった。
当初は、毎年、お出でくださったし、平均してみても、二年に一回の割合で訪問してくださっている。
この四年間で新しい会員も誕生しているだけに、ぜひ、近々、先生に八度目の訪問をお願いすべきではないでしょうか」
高見は、腕を組み、頷くと、つぶやくように言った。
「もちろん、お出でいただきたい。ぜひとも、お出でいただきたい……」
そして、押し黙った。長い沈黙が続いた。 
やがて彼は、静かな口調で語り始めた。
「私は、考えた。〝先生にお出でいただきたいと言って、ただ、お待ちしているという姿勢でいいのだろうか〟と。
〝違う!〟と思った。先生が、七度も来島されたということは、どこよりも、沖縄を大切にしてくださったからだ。
しかし、私たちは、いつの間にか、それを、当然のことのように思い、先生に甘えてしまっていたのではないだろうか。
世界には、先生が一度も訪問されていない国がたくさんある。
どの国のメンバーも、先生にお出でいただきたい気持ちは、やまやまだろうが、それを口にする前に、先生を求め、仏法を求めて、自ら日本に来る。
アフリカや中南米の同志は、何年間も、生活費を切り詰めに切り詰めて、お金を貯め、十日、二十日と休みをとってやって来る。
その求道の心こそが、信心ではないだろうか! 弟子の道ではないだろうか!」