2015-08-11から1日間の記事一覧
信心は生命を根底から変革 仏法は、人の心も、また社会の精神性も、深く鋭く映し出す英知の鏡である。 日蓮大聖人は、その明鏡に照らして、時代の混迷の元凶は人間の生命に巣くう「貪瞋癡(とんじんち)」の三毒にあり、「戦争は瞋り(怒り)から起こる」(…
学会が、第二組合をつくろうとしていると誤解した会社側は、学会の勢力を削がなくてはならないと考えた。 そして、会員宅を訪問しては圧力をかけ、御本尊を取り上げて回ったのである。 それを知った、この“炭鉱の島”の男子部員たちは立ち上がった。 男子部班…
その〝炭鉱の島〟で一九六二年(昭和三十七年)の六月、炭塵爆発により、六人が死亡、九人が負傷するという事故が起こった。 この会社では、日々、ノルマを達成するまで、労働時間を延長させていたことなどから、作業員の会社への不満がたまっていた。 そう…
九州北西部の島で起こった迫害事件に対して、学会員は法的手段も講じ、懸命に励まし合いながら、解決への努力を重ねた。 島の同志のすばらしさは、精神面でも、生活面でも圧迫が続くなかで、一歩たりとも引かなかったことだ。 皆、信心を始め、折伏・弘教に…
夏季地方指導の最終日に開かれた座談会の帰り道、島の若者たちが鍬や鎌を持って道端に群がり、学会員に罵声を浴びせた。 学会員が次々と誕生していくことを快く思わぬ、地域の有力者の差し金であった。 学会の幹部を家に連れてきたことで、家主から、家を出…
島の人びとの心に兆した誤解や偏見は、日蓮仏法、創価学会を、島の風俗、習慣、伝統とは相いれないものとして、排除しようとする動きとなっていく。 特に、信心を始めた人が、地位も財力もない、弱い立場であればあるほど、周囲の反発、圧力は激しく、弾圧、…
山本伸一は、懇談の席で、離島の婦人たちの近況に、じっくり耳を傾けた。 多くの島の暮らしは、決して豊かとはいえない。 島を出て、大都市に働きに出る人も後を絶たない。 そのなかで、学会員は、人びとの幸せと島の繁栄を願い、ひたすら信心に励んできたの…
山本伸一は、離島本部の総会に出席する前に、離島の婦人部の代表らと懇談した。 日本には、北海道、本州、四国、九州のほか、沖縄本島をはじめ、七千近い島が存在し、そのうち約四百の島が有人島であるといわれている。 この語らいのなかで、彼は、離島に対…
山本伸一は、沖縄のメンバー一人ひとりに視線を注ぎながら、話を続けた。 「私は、沖縄の皆さんが、自ら行動を起こし、学会本部に来られたということが、最高に嬉しいんです。 誰かが、何かしてくれるのを待つという受け身の姿勢からは、幸福を創造していく…
離島本部総会に参加する沖縄の同志は、那覇に集まり、「沖縄支部長会」の参加者と合流し、朝、飛行機で東京へ向かった。 メンバーのなかには、船で石垣島や宮古島に出て、そこから飛行機で那覇まで来て、一泊した人もいた。 沖縄の同志は、羽田空港から五台…
高見福安の言葉は、語るにつれて熱を帯びていった。 「私は今、自分の姿勢を振り返って、深く反省しています。 求道心を失い、先生に甘えていたことに気づき、申し訳ない思いでいっぱいなんです」 集っていた沖縄の首脳幹部たちは、高見に視線を注ぎながら、…
この十月七日、離島本部の総会に先立ち、第一回「沖縄支部長会」が、学会本部の師弟会館で開催されることになっていた。 沖縄の同志は、会長・山本伸一の訪問を強く願ってきた。 伸一は、一九七四年(昭和四十九年)二月の沖縄指導では、石垣島、宮古島へも…
雲の切れ間に太陽が輝いた。 東京・信濃町の学会本部に、人びとが喜々として集って来た。たくましく日焼けし、精悍さが漂う男性も多い。 ほとんどの人が、学会本部を訪れるのは初めてであった。 門の前で、陽光を浴びた創価文化会館の大理石の壁を見上げ、…
広宣流布を推進するリーダーにとって大事なことは、自分の担当した組織のすべてのメンバーに、必ず幸せになってもらおうという強き一念をもつことだ。 そして、人間対人間として、誠実に交流を図り、深い信頼関係を結んでいくことである。 その素地があって…