小説「新・人間革命」 勝利島 11 2015年 8月1日

山本伸一は、離島本部の総会に出席する前に、離島の婦人部の代表らと懇談した。
日本には、北海道、本州、四国、九州のほか、沖縄本島をはじめ、七千近い島が存在し、そのうち約四百の島が有人島であるといわれている。
この語らいのなかで、彼は、離島に対する自分の思いを語っていった。
「日本は多くの島々から成っている。したがって、国の発展や豊かさは、大都市がどれほど栄えているかで測るのではなく、離島に暮らす方々が、どれだけ恵まれた、幸せな日々を送っているかで測るべきなんです。
政治にせよ、文化・教育にせよ、島の人びとの生活を守り、いかに豊かなものにしていくかが、極めて重要であると、私は考えています」
戦後、日本は、大都市を中心に目覚ましい発展を遂げてきたが、その流れに大きく取り残されてきたのが、本土から隔絶した離島であった。
その離島の開発と人びとの生活水準の向上を図るために、一九五三年(昭和二十八年)に「離島振興法」が制定、公布された。
この法律は十年間の時限立法で、改正、延長を重ね、港湾や道路の整備、学校や診療所、電気や簡易水道の設置等が進められてきた。
しかし、高度経済成長期に入ると、本土での労働力需要が高まり、島から働き手が失われていった。
離島の過疎化が進み、農漁業など、生産活動も著しい低下を招き、学校や診療所を建設しても、地元が経済的に負担しきれないケースが続出した。
港や道路、電気、水道などが整っても、島の産業の抜本的な振興がないのだ。結局、島は公共事業頼みとなる。
政府の離島振興は、表面的な「本土並み」の生活環境を整えることばかりに目がいき、長期的な展望や、島民の立場からの視点が欠落していたのだ。
もちろん、インフラの整備は必要不可欠である。
同時に、その島の特色を生かし、自立するための基幹産業振興の手助けをすることこそ、政府の担う重要な役割といえよう。