小説「新・人間革命」勝利島16 2015年 8月7日

その〝炭鉱の島〟で一九六二年(昭和三十七年)の六月、炭塵爆発により、六人が死亡、九人が負傷するという事故が起こった。
この会社では、日々、ノルマを達成するまで、労働時間を延長させていたことなどから、作業員の会社への不満がたまっていた。
そうしたなかで事故が起こると、「第二組合がつくられる」という話が流れ始めた。
労働組合はあったが、労働者側よりも会社側に立っていたため、そんな噂が広がったのだ。
会社側にも作業員への不信感があった。
採用時に渡す支度金を受け取ると、いなくなってしまう人や、仕事を早退してパチンコにふけったり、酒を飲んで欠勤したりする人もいたからだ。
欠勤や早退をする時、学会に反発している人たちは、その理由を、しばしば学会のせいにして届けを出した。
一緒にテレビを見ていただけなのに、「非番の日に、学会員が折伏に来て、十分に休息できなかったため」「夜遅くまで学会の話を聞かされていたので」などと書くのだ。
炭鉱の住宅は、壁一枚で仕切られた長屋であり、声は隣家に筒抜けだった。
座談会を開くと、それも利用され、欠勤届に「学会の座談会がうるさくて寝不足」と書かれた。
学会員は、細心の注意を払って、座談会を開催してきたつもりであった。
会社側は、学会員を目の敵にするようになった。
「座談会は、会社の了解を得てやれ」と圧力もかけられた。
「座談会を開くなら、〝炭住〟から出ていけ」と言われた人もいた。
やむなく、周囲に迷惑をかけないようにと、野外で座談会を開くようにもした。
学会に不当な圧力を加えていた会社側は、第二組合結成の噂を耳にすると、〝主導しているのは学会だ。会社への攻撃を開始しようとしているのだ〟と思い込み、憎悪を剝き出しにした。
全くの誤解によるものであった。
会社側は、学会への対応に後ろめたさがあったことから、疑心暗鬼を募らせていたのだ。
おのれの影に怯えていたのである。