小説「新・人間革命」勝利島18 2015年 8月10日

田山広介は、炭鉱会社の労務担当者たちを前に、「学会は、いかなる宗教なのか」「何をめざしているのか」などについて、諄々と話した。
労務担当者たちの態度も表情も、次第に変わっていくのがわかった。
頷きながら、話を聴いている人もいた。
労務担当の責任者が口を開いた。
「率直に聞くが、学会は第二組合をつくって、会社に対抗するつもりではないのかね」
「そんなつもりは全くありません。ただし、会社が法律を無視したり、人権を脅かすようなことがあれば、徹底して戦います」
そして田山は、会社側が御本尊を取り上げた件について問いただした。
その数は十五世帯で、会員の氏名も明らかにされた。
また、御本尊は、「保管してある」とのことであった。
当然のことながら、個人が受持する御本尊を持ち去る権利など、会社にはない。
御本尊は学会員に返されることになった。
この話し合いによって、会社側は、学会員には第二組合を結成する意思などなく、学会の指導は、社会性を重んじていることを理解した。
炭鉱住宅での学会活動も自由にできるようになり、一段と弘教も進んだ。
「人は自らの信念のために声を発し、立ち上がらなければならない」(注)
正義を、人間の権利を守るために、勇気を奮い起こして、声をあげるのだ。
悪の跳梁を許してきたのは、常に沈黙である。
一九七二年(昭和四十七年)、この島の炭鉱は閉山となる。
多くの人が職を求め、島を後にした。
それでも、五十世帯ほどの学会員が島に残ることになった。
島は、クルマエビの養殖や観光などを産業の柱としていくが、学会員は、島の復興に大きな力を発揮していったのである。
ここに挙げた九州の二つの島は、本土に近く、隔絶された孤島ではない。それでも島のなかで、学会員への容赦ない迫害があったのである。
しかし、同志は、忍耐強く、広宣流布の開拓の鍬を振るい続けてきたのだ。