小説「新・人間革命」勝利島19 2015年 8月11日

北海道の札幌から鉄路二百十五キロ、北海道北部の西海岸にある羽幌に出る。
かつては炭鉱の町として栄えたところである。
さらに、そこから西へ海路約三十キロ、日本海に浮かぶ周囲約十二キロの島が、「オロロンの島」として知られる天売島である。
オロロンとは、オロロン鳥(海烏)のことだ。島への船は、十月から四月の間、一日一往復となる。
天売島では、毎年三月、オロロン鳥をはじめ、何種類もの海鳥が繁殖のために飛来する。
四月から八月の繁殖期には、おびただしい数の海鳥が、島の岩棚を埋め尽くす。
果てしない群青の海。岩に躍る純白の波しぶき。
空を覆うかのように羽ばたく鳥たちの群れ……。
その景観は、雄大で美しい。大自然が描いた一幅の名画である。
港で船を下り、丘の上を見上げると、白壁の二階建ての建物がそびえ立つ。
学会員の佐田太一が経営するホテルだ。
客室数三十余室の天売島最大の宿泊施設である。
島の住人は、約二百六十世帯八百人余(一九七八年現在)。
その島に、当時、学会の大ブロック(後の地区)があり、六十九歳の佐田が大ブロック長を務めていた。
彼の人生は、波瀾万丈であった。
佐田の祖父は現在の青森県出身で、明治初期に天売島に移り住み、開拓を始めた先駆者の一人であった。
この祖父は漁業で成功し、彼を頼って、青森や秋田から次々と人が集まり、島に住みついていった。
佐田の家は、祖父も、父も網元をやり、島の実力者として名を馳せてきた。
ニシン漁の最盛期を迎えたころには、島は漁の根拠地の一つとして栄え、人口が二千人近くにまで膨れ上がったこともある。
海は豊漁を運んでくる。
しかし、激しく過酷である。荒海は牙を牙を剥き、時として命をものみ込む。
豊漁か、命を落とすのか──明日のことはわからない。
人間の力の及ばぬ大自然を相手に生きるなかで、人の非力を実感する機会も多い。
それだけに、強い信仰心をもつ人も少なくなかった。