小説「新・人間革命」 勝利島 23 2015年8月15日

佐田太一は、島の広宣流布のためには、まず生活に勝ち、実証を示すことだと結論し、祈りに祈った。
唱題は、生命力、智慧の源泉である。
漁師のほかにも商売ができないものかと思案を重ね、住まいの一部を改造して、民宿を始めることにした。
民宿といっても、布団は三組しかない。それでも、五月から九月の間、客は、よく来てくれた。
天売島は冬季に入ると、島を訪れる人は、ほとんどいなくなる。
海は荒れ狂い、空は鉛色の雲に覆われ、吹雪は咆哮をあげて襲いかかる。
船も一日一往復となり、天候によっては何日も欠航が続く。
佐田は、今なら、じっくり対話ができると思った。
吹雪のなかを弘教に歩いた。
折伏をするために字を覚え、『大白蓮華』「聖教新聞」を読み、御書を学んだ。
島に戻って二年後には、八世帯の弘教が実った。
民宿も辛抱強く続け、毎年、少しずつ改修を重ね、設備も整えていった。
一九六一年(昭和三十六年)秋、天売島が脚光を浴びることになった。
ここを舞台にしたテレビドラマ「オロロンの島」(北海道放送制作)が全国放映されたのである。
ドラマの主役は、島に住む子どもの姉弟である。
その弟役には、佐田の息子・一広が起用された。
この放映によって天売島は、風光明媚なオロロン鳥の繁殖地として、一躍、名を馳せ、多くの観光客が訪れるようになる。
民宿の業績も順調に伸びた。
しかし、島には水が少ない。
六二年(同三十七年)、佐田太一は、客に不自由な思いをさせたくないと思い、裏山の沢から水を引くため、ホースを取り付けに行った。
三十メートルほどの崖に登って、作業を始めた。
その刹那、体のバランスを崩し、真っ逆さまに転落した。意識を失った。
本土の病院へ緊急搬送された。検査の結果は、頭蓋骨陥没である。頸椎もずれていた。
辛うじて命は取り留めたが、医師は、「命に及ぶ危険があるので手術はできない」と告げた。