【第66回】 確信の体験を語りゆけ  (2015.10.15)

法華経の行者は信心に退転無く身に詐親《さしん》無く・一切法華経に其《そ》の身を任せて金言の如く修行せば、慥《たしか》に後生《ごしょう》は申すに及ばず今生《こんじょう》も息災延命にして勝妙《しょうみょう》の大果報を得《え》・広宣流布大願をも成就す可きなり(祈?経送状、1357㌻)
 
通解 法華経の行者は信心において退転なく、身において詐《いつわ》り親しむことなく、一切、法華経に身を任せて金言の通り修行するならば、確かに後生《ごしょう》はいうまでもなく、今生《こんじょう》においても息災延命ですぐれた大果報を得、広宣流布の大願をも成就することができよう。
 
同志への指針
 妙法は究極の正義の法則である。この大法に則って仏道修行に励むならば、絶対に勝利の果報をつかむことができる。これが御本仏の大確信であられる。
 一人の信仰体験が友の心に勇気と希望の火を灯《とも》す。そこから新たな体験が生まれ、幸と平和の花が咲き広がる。
 一人一人が幸福を勝ち取っていく希望の連鎖こそ、「慈折広宣流布」の実証なのだ。