【第11回】威風堂々と師弟の桜道を  (2016.4.2)

 
 爛漫と
  師弟の勝ち鬨
    桜かな
 
わが師・戸田先生の祥月命日を前に、師弟原点の地・大田区の文化会館で、懇ろに報恩感謝の勤行を行った(3月30日)。
先生は桜がお好きであった。厳寒の冬を耐えて咲き誇る桜花のごとく、大難を越え、爛漫たる広布と人生の凱歌を飾られた。そして桜の花の咲く頃に、霊山へ旅立たれたのである。
来る年来る春、門下が桜を仰ぎつつ、後継の決意を新たにして、「五月三日」へ勢いを増していけるようにと、前進のリズムを留めてくださった。
桜は希望と平和の象徴である。学会から大田区に寄贈された千本の桜の若木も、40年を経て立派な大樹となり、各地の方々に愛でられている。
記念の月間を勇み走る、ふるさと大田の同志をはじめ、わが友の健闘を讃え、福徳と人材の花よ、咲け! そう祈って、“桜の城”の会館で、ピアノを弾いた。
「さくら」「森ケ崎海岸」、そして先生と幾たびとなく歌った“大楠公”……。
師匠を思えば、力は無限に湧いてくるのだ。
 
日蓮大聖人は「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と仰せになられた。
──明るく美しい桜の花が暗いゴツゴツした木から咲き出ずるように、凡夫の心からも、最極の仏の生命を絶対に涌現できる、と。
御本仏が示された通り、我らは一人また一人と「人間革命」の花を咲き薫らせてきた。「幸福」と「平和」の創価の桜道を、日本中、世界中に開いているのだ。
 
尊き“桜守”の方々は、見事な開花のためには、咲いていない時の手入れこそ勝負と教えてくれる。
人材を育てるのも、友情を育むのも、道理は同じだ。陰の労苦を惜しんではならない。真心込めて祈り、励ましの声をかける。勇気と誠実の対話を、粘り強く重ねることだ。
「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(同910ページ)との御聖訓のまま、勇敢に拡大に打って出よう!
いかなる試練の風雪も、断じて恐れることはない。「冬は必ず春となる」──この希望の勝利劇を、いやまして威風堂々と示していこうではないか!