小説「新・人間革命」 力走19 2016年4月15日

高丘秀一郎の右目が、突然、かすみはじめたのは、前年の一九七七年(昭和五十二年)十月、柿の実が赤く色づいていた日であった。
翌日には、ほとんど見えなくなった。
眼科で二週間、治療を受けたが、効果はなく、大学病院の脳神経外科を紹介された。
その時には、既に右目から光は失せていた。
脳神経外科では、視神経炎と診断されたが、原因は不明であるという。
年が明けた三月、左目にも異変を感じた。
大学病院に行くと、すぐに入院するように言われた。
四時間おきに注射と飲み薬が投与され、副作用で体全体が腫れあがった。
毎夜、眠りにつく時、このまま永遠に暗闇の世界に入ってしまうのではないかと、不安に苛まれる。
朝、目が覚め、光を感じることができると、ほっとする──その繰り返しであった。
しばらくして、医師は高丘に告げた。
「率直に申し上げますが、今の医療ではなすすべがありません。
悪化はしても、これ以上、良くなることはないと思います」
彼は、もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみようと腹を決めた。
それまでは、頑張って信心してきたのに、どうしてこうなるのだ!という思いがあった。
しかし、新たな決意で唱題に励むと、心が変わっていくのを感じた。
俺はこれまで、教学を学んできた。
御書に照らして見れば、過去世で、悪業の限りを尽くしてきたにちがいない。
それなのに大した信心もしないで、御本尊が悪いかのように考えていた。傲慢だったのだ。
日蓮大聖人は、「諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし」(御書一四三九ページ)と仰せになっている。
信心によって、今生で罪障消滅できるとの御断言だ。
なんとありがたい仏法なんだ!
そう思うと、御本尊への深い感謝の念が湧いてくるのだ。
感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる。