小説「新・人間革命」 力走20 2016年4月16日


高丘秀一郎は真剣に唱題を続けた。仏壇の前から離れなかった。
彼は、もう一度、信心を一からやり直すつもりで、自らの宿命への挑戦を開始していったのである。
一九七八年(昭和五十三年)四月上旬、高丘は、幹部に指導を受けようと、三重県長の富坂良史に手を引かれ、立川文化会館を訪ねた。
そこで山本伸一と、ばったり出会ったのだ。
「三重の名張から来ました」
語らいが始まった。事情を聞いた伸一は、大確信を注ぎ込もうとするかのように、力を込めて語った。
「断じて病魔になど、負けてはいけません。早く、良くなるんです。
あなたには、名張広宣流布を成し遂げていく、尊い使命がある。
病気も、それを克服して信心の偉大さを証明していくためのものです。そのために自らつくった宿業なんです。
したがって、乗り越えられない宿命なんてありません。地涌の菩薩が病魔に敗れるわけがないではありませんか!
題目です。ともかく見事な実証を示させてくださいと、祈り抜くんです。
私も題目を送ります。今度は、三重でお会いしましょう。
必ず、元気な姿を見せてください!」
高丘は、伸一の言葉を聞いて、胸に一条の光が差し込む思いがした。
勇気がほとばしった。希望が芽吹いた。
強い確信と祈りを込めて、真剣勝負の唱題がさらに続いた。
先生に心配をかけて申し訳ない。必ず、治してみせる!
懸命に唱題を重ねるうちに、医師も匙を投げた病状が回復し始めた。
右目に光は戻らなかったが、左目の視力は次第に良くなり、御本尊の文字が、しっかり見えるようになったのである。
彼は、「大地はささばはづ(外)るるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書一三五一ページ)との御聖訓を噛み締めるのであった。◇ 小説「新・人間革命」 力走20 2016年4月16日