【第92回】 富士の如く威風堂々と! (2016.3.16)

生命の福光で社会を照らせ
 
あの未曽有(みぞう)の大震災から5年。愛する東北の若人が、日本一の対話の拡大を成し遂げ、歴史的な青年音楽祭を飾ってくれた。
けなげな父母たちも、社会のリーダー方も、全世界の同志も、涙を浮かべて賞讃(しょうさん)の大拍手を送っている。
 
「日輪(にちりん)・東方(とうほう)の空(そら)に出でさせ給へば南浮(なんぷ)(=世界)の空・皆明(みなあきら)かなり大光を備(そな)へ給へる故(ゆえ)なり」(御書883ページ)と説かれる。
妙法に生きゆく君たち、あなたたちの生命にこそ、希望の「福光(ふっこう)」は輝きわたっている。
朗々(ろうろう)たる題目で、今日も、わが生命に太陽を昇(のぼ)らせ、友を照(て)らし、社会を照らす勇気の大光(たいこう)を、朗らかに広げゆくのだ。
 
 「私が創価学会』との気概(きがい)で
 日蓮大聖人は、「願(ねがわ)くは我が弟子等(でいら)は師子王(しおう)の子となりて群狐(ぐんこ)(=キツネの群れ)に笑わるる事なかれ」(同1589ページ)と仰せである。
創価の青年は、一人ももれなく師子である。
臆病(おくびょう)な師子はいない。退(しりぞ)く師子はいない。叫べない師子はいない。
    
広宣流布(こうせんるふ)と立正安国(りっしょうあんこく)の大運動にあって、民衆の幸福と安穏(あんのん)を開く「正義(せいぎ)の師子吼(ししく)」を、自信満々と轟(とどろ)かせていくのだ。
 「私が創価学会である」との気概(きがい)で、勇気凛々(ゆうきりんりん)といこう!誇り高き後継の師子なれば!
    
 悩みの烈風(れっぷう)に負けるな
 戸田先生は、「3・16」の式典で、富士を仰(あお)ぎつつ、青年に広布の未来を託(たく)された。
恩師は若人(わこうど)に、「富士の如くあれ! 富士の如く、堂々と生きよ! 悠然(ゆうぜん)と戦え!」と語られていた。
 
富士は、常に烈風(れっぽう)にさらされている。
青春にも、悩みの烈風がある。試練(しれん)の風雪(ふうせつ)がある。しかし、恐(おそ)れてはならない。怯(ひる)んでもならない。深き祈りで「断じて負けない」と一念を定(さだ)めれば、大山のように不動の境涯が築かれていくのだ。
  
創価の三代と「不二」の君たちよ、「富士」の如き自分自身を創り上げてくれ給え! 「堂々と 富士の如くに 青年山」