小説「新・人間革命」源流 8 2016年9月9日

故・周志剛理事長の家は、鉄筋コンクリートのアパートの五階(日本の数え方では六階)にあったが、エレベーターはなかった。
山本伸一は、創価大学の大学院生で、通訳として香港訪問に同行していた、周家の長男・志英に案内されて階段を上っていった。
志剛は五年前の一九七四年(昭和四十九年)十一月、心臓病のため、六十一歳で急逝している。
伸一は、息を弾ませて階段を上りながら、晩年の周にとって、この階段の上り下りは、きつかったにちがいないと思った。
家では、夫人の徐玉珍や彼女の母親、三人の娘らが喜びを満面にたたえて出迎えてくれた。夫人は、目を潤ませながら語った。
「感無量です。主人も、敬愛する山本先生に来ていただいて、どれほど喜んでいるでしょう……」
「今日は、追善の勤行をさせていただきにまいりました」
伸一は、部屋の壁に飾られていた志剛の写真をじっと見つめ、心でありがとう……
と語りかけた。そして、夫人に視線を注いだ。
「ご主人は、香港広布の道を開いてこられた最大の功労者です。お子さんたちも立派に育っている。すばらしいことです。
ご主人は、ご家族の皆さんの心に生き続け、その幸せを見守ってくれています。
また、ご主人の偉業は、すべて、残されたご家族の福運となっていくことはまちがいありません。亡きご主人の分まで幸せになってください」
それから、深い祈りを込め、皆で追善の勤行をした。さらに、家族の近況に耳を傾けた伸一は、一家がますます福徳にあふれ、繁栄するよう念願し、色紙に揮毫して贈った。
「母子して 諸仏に守らる 金の家」
志英は、感涙を浮かべて語った。
「先生は日本人で、ぼくは中国人です。でも、先生は、私たち一人ひとりを、誠心誠意守ってくださる。
先生の優しい心は、痛いほどわかります。人類は結び合えることを、先生から教えていただきました」
平和といっても一人との信義から始まる。