小説「新・人間革命」源流 35 2016年10月13日

人類の歴史が明白に示しているように、不当な侵略や支配、略奪、虐殺、戦争等々の暴力、武力がまかり通る弱肉強食の世界が、現実の世の中であった。
そのなかで、マハトマ・ガンジーが非暴力、不服従を貫くことができたのは、人間への絶対の信頼があったからだ。
さらにそこには「サティヤーグラハ」(真理の把握)という、いわば宗教的確信、信念があったからだ。
ガンジーは、道場(アシュラム)での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。
仏法は、十界互具、一念三千を説き、万人が仏性を具えているという永遠不変の真理を明かした教えである。
その宗教的確信に立つ私たちには、ガンジーの非暴力運動を継承しうる、確かな精神的基盤がある。
山本伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。
──非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。
さわやかな風が吹き渡り、木々が揺れた。
花のあと、一行は、管理者に案内され、園内を視察した。
太陽の光を浴びて緑の樹木は輝き、色とりどりの花々が咲き乱れていた。
敷地内の一角に、「七つの罪」と題したガンジーの戒めが、英語とヒンディー語で刻まれた碑があった。
──「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき娯楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき祈り」
いずれも、ガンジーのいう真理に反するものであり、「悪」を生み出し、人間を不幸にしていく要因を、鋭くえぐり出している。
伸一は、「献身なき祈り」を戒めている点に、ことのほか強い共感を覚えた。行為に結びつかない信仰は、観念の遊戯にすぎない。
信仰は人格の革命をもたらし、さらに、人びとの幸福を願う献身の行為になっていくべきものだからだ。