小説「新・人間革命」源流 45 2016年10月25日

山本伸一は、その後もナラヤナン副総長との友誼を大切にしていった。日本で、インドで、出会いを重ねた。 
ナラヤナンは一九八四年(昭和五十九年)にケララ州から下院議員選挙に立候補し、当選する。
外務担当国務大臣等を経て、九二年(平成四年)、友人の国会議員に強く推されて副大統領選へ。
上下両院議員の選挙の結果、なんと賛成七百票、反対一票で副大統領に就任したのである。
後年、伸一が、直接、その圧倒的な支持の理由を尋ねると、こう答えている。
「大臣時代の仕事ぶりを認めてくれたのかもしれません。
また、数年間、大臣ではなく一般の議員として仕事をしていましたが、その間に、ほとんどの議員と友好関係をもつことができました」
つまり、日ごろの行動、地道な陰の功労を皆が見ていて評価してくれたというのだ。
また、人間対人間の交流を通して培ってきた信頼が、いざという時に花開いた
といえよう。
さらに彼は、インド独立五十周年にあたる九七年(同九年)七月、国会と州議会の議員約四千九百人による選挙で、有効投票数の約九五パーセントを得て大統領に就任。
「不可触民」といわれ、差別されてきた最下層の出身者から、初めて大統領
が誕生したのだ。
新しき朝は来た。人間のつくった差別という歴史の闇を破るのは、人間の力である。
その三カ月後の十月、インドを訪問した伸一は、大統領府を表敬訪問し、ナラヤナン大統領に長編詩「悠久なるインド 新世紀の夜明け」を贈った。
また、二〇〇四年(同十六年)十月、伸一は二年前に大統領の任期を終えていたナラヤナンと、聖教新聞社で七年ぶり四度目の会談を行った。
この日本滞在中、創価大学から名誉博士号が贈られている。
「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」(注)──これは、ナラヤナンが大統領の任期を終えるにあたって議会で語った、ガンジーの不滅の言葉である。
 
小説『新・人間革命』の引用文献
注 『マハトマ・ガンジー全集 90巻』インド政府出版局(英語)